Oberlin Big History Movement

Students' Comments in the 2016 academic year

WE'RE BECOMING
NEW BIG HISTORIANS

09-20-16 
Lecture 1 Introduction

スケールを狭めない、縛られないということが重要で、宗教や人種だけでなく、私自身のスケールを広げることもとても重要で大切だと思いました。私自身の歴史は私が生まれてから始まったわけではなく、ずっと前から始まっている。また、死んでしまったときも一緒で、この世から消えてしまったとしても、孫またその孫と続いて、歴史は終わるわけではないと考えられる。次の世代もその次の世代も私だと考えることで、地球規模の問題ももっと重く受け止め考えられるようになるのではないか。( 3rd-year student K)

ものすごくワクワクしてきました!!『宇宙からの帰還』の一片を読んで気分が高揚し、さらに特別ゲスト3連発!!個人的に本川さんの講義がとっても楽しみです!!今年4年生で今学期が最後の学生生活となりますが、ここに来て「リベラルアーツ」を具現化したような授業に出会えてドキドキが止まりません!!壮大な宇宙、長い歴史を強く感じながら半年間学んでいきます!!よろしくお願いします!!( 4th-year student T )

09-27-16 
Lecture 2 Big Bang: The Beginning of the Universe

BH (ビッグ・ヒストリー) のいい所は、未来のことをじっくり考えられることだと思います。今までものすごい数の奇跡が宇宙の中で起こっているから、きっとどんな「if」でもBHの世界では受け止めてくれるんだと思いました。最近のニュースで地球の他にも水がある惑星が発見されたそうです。将来的に地球は巨大化した太陽に飲み込まれてしまうという話を聞いたけど、人間はBHの大きな歴史の中でまだまだ長くしぶとく生きていくんだろうなと考えました。( 2nd-year student I)

( 聖書で )6日目に神に「似せた」人を書いた、とありました。しかし、何故神は人型となっているのだろう。こんな事を言っては何ですが、その考え方自体がビッグ・ヒストリアンから遠いものなのではないか。…大昔から、人は地上に居るかぎり、世界に「属している」存在です。つまり、人間の「価値観」からは逃れられません。しかし、今の私達には…この小さな星から逃れて大きく「宇宙」から自分達を見れる可能性が大いにあります。そして、その手法の手がかりである「ビッグ・ヒストリー」を受講しています。この学問の真髄に触れた時、もしかしたら、自分が持っている「概念」そのものがくつがえされるのでは、と考えました。その真骨頂=今日の内容にあった「遠くを見る」がキーポイントなのかなあと思いました。つまり「地球の人間規模」で物事を見ているうちは、真骨頂に近づけないのでは…。その真骨頂の一部でいいから触れてみたいと思います。( 1st-year student H)

10-04-16 
Lecture 3 The Formation of the Solar System and the Earth

元素がどのようにして生まれてきたのかという話を聞くと、本当に人間は宇宙から生まれたんだなぁと灌漑深い気持ちになる。真の意味での人間の故郷は地球ではなく宇宙なのだと思うと、ため息が出る思いだ。宇宙には不思議なロマンがあって、人々を魅了し続けている。その理由は底知れない存在に対する探求心の他に、ふるさとへの回帰のようなものがあるのかもしれない。( 2nd-year student W )

アニメやマンガ、映画にビッグ・ヒストリー的なものがたくさんあるのは、多くの人が気づかぬうちにビッグ・ヒストリアンになっているのかなと思いました。人間は、アニメやマンガなどで自分の想像した宇宙をえがくなど、宇宙に関わる仕事をしている人以外でも宇宙に関心がある。だから人間は必ずもっと宇宙に近づけるようになると思う。…早く地球とは別の星に住めるようになってほしいです。なぜかというとそうすれば今起こっている争いもなくなると思うからです。歴史的にもそうですが、争いの原因はいつも土地をめぐるものが多い気がします。そのため人間の住める土地が増えれば争いも減っていくのかなと思います。( 1st-year student O )

10-11-16 
Lecture 4 The Emergence of Life

私は、犬を飼っています。犬は、ワンと鳴き犬同士で会話をしています。しかし、生物の構造としては同じなのか分かりませんが、私がおいでというとこっちに来てくれます。まてというとまちます。言葉が違うのに、言葉が通じる。私達人間は犬の言葉は分かりませんが、犬の方は分かっている。これも、創発的に入るのではないかと考えました。だとすると、植物や菌など「生命」というのに大差は無いのではないか。だって、理解が出来ているんです。人間が生命の頂点に立つ事が義務づけられていたのではなく、偶然であったのではないか。生命の閾の中で、生命すべてが何か新しい物を見つけ、自分に合った、生きる場所・環境・繁殖しやすい場所など、レースのように1番・2番を競うのではなく、足なみをそろえ、自分達に合った環境にいる。だから、魚は海に、虫は森林に、人間はこの世界に、菌類は身体の中にいる。そのため、すべての生命は異なるように見えて、異なっていないのではないかと思いました。( 3rd-year student T )

BHは原理的に未完成だ。そして人間存在と矛盾している。なぜならBHは宇宙を包摂するという人間の試みであり、すべての価値観を(善・悪すらも)相対化し、いかなる立場も取らないからだ。人間がどんなに視野を拡げても人間である以上どうしても人間中心主義的発想からは逃れられない運命にある。もし完全なBH的思考を身につけたら、その時人間ではなくなっている。ではBHを学ぶ意味は何か。それは人間が人間なりに自らの小ささを自覚することと、広い宇宙の中での生きる意味を(例えそれが絶対的なものでなくても)考え、見つけることだ。( 4th-year student S )

10-18-16 
Lecture 5 History of the Evolution of Life

生物の進化は絶滅と創世の歴史、ということに驚いた。私は、生物の進化は必要に応じて行ってきたものだと思っているし、絶滅から得られる進化なんてないと思っていた。けれど、環境の変化を絶滅とするのならば、なるほどと思った。確かに、環境が変わることで、生物は進化の必要に迫られていたと思うからだ。酸素が猛毒とする生物がいて、吸収をするために進化をした、と知った時、進化の可能性に感動を覚えた。( 1st-year student K )

細胞は都市である、という話、まさに世界に当てはまることだと思いました。細胞の中にも個々の役割があり、新しく創出しています。私達はその細胞に創られながら、私達は人工のビルや技術を創出しています。細胞は有性生殖でDNAを媒体として情報を混ぜ合わせ新しいものを、私達はネットワークやコミュニケーションを通じて新しいものを。小さい細胞と同じプロセスを人間も行っているのだと思います。そして地球は代謝のように新しい地形を創り出し、宇宙は新しい星を創り出し…。ここで大事なのは互いに影響を与え合っている点だと思います。細胞が新しい何かを創り出した時、それは人の体調や身体に現れます。人間が新しい技術を生み出すとそれは土壌や災害となって…。細胞も人も生命も地球も宇宙も、独立しているようで少しずつ互いに影響・干渉され、全体で新しい状態に向かっているように思えました。( 4th-year student Y )

10-25-16 
Lecture 6 History of the Evolution of Life (continued)

人類が地球の摂理から外れる可能性。これは人間中心主義についてのコメントを読んで思ったことです。人間が特別であるという意見(自分はそうは思わないのですが)、その論を人間が持てた大きな要因は、「自分達よりも強大なものを征服してきた」からだと思いました。人間というものはとてもちっぽけなもので、単体では生きていけず、大昔では大きな肉食動物からすれば捕食対象でしかなかった私達は、群れとして行動し、知恵を合わせることで、自分達より大きな動物でさえも食料とし、生き延びてきたわけです。そして現代では、食物連鎖の頂点に君臨しています。この「征服」という価値観は特に欧米圏のもので(西洋医学もこれに当てはまります)環境すらも征服しようとしています。これによって本来の自然的な進化のプロセスから人類は外れる可能性があります。宇宙進出もその1つではないか。これによって、人類はどのような道を進むのか、とても興味深いと思いました。( 4th-year student Y )

マーギュリスの連続細胞内共生説が正しいとすると、既存の日本社会の競争原理思想には疑問を感じます。競争原理(あるいは、競争至上主義と言った方が的確か)は元来経済学の主張でした。…競争原理は人の持つ本性の1つと言えます。しかし近年、あらゆる物事に対しても競争原理を適用する人が出てきました。特に教育関連の主張で、とにかく子どもに競争させることが子どもの能力を伸ばすというものです。しかし、競争が人の全てだと私には思えません。共生説が示すように、私たち人も(他の生命も)共生による発展をしてきたのではないでしょうか。競争と共生のバランスで生命も、私たち人の社会も成り立っているのだと思います。( 4th-year student S )

11-01-16 
Lecture 7 Special Lecture ( 1 ) Big History and Biodiversity

生物多様性の中で「私」の一部が環境であるという話が、大変興味深かった。環境という定義の中で、「時間」を「環境」としてとらえ、我々の生活の中での時間の進み方に着目し、我々の社会問題とかけ合せての考え方はとても参考になった。確かに、私たちの生活は時間にとらわれすぎている。朝の田園都市線は、2分ごとにくる電車にぎゅうぎゅうづめになり、遅刻しないように急ぐ。そんな現代人の姿を見ると、一日を24時間にしていること自体に問題があるように思えて仕方がない。寝る時間、食事の時間、男女のいとなみ、生物の本来あるべき三大欲求すら、近代ではないがしろにされてきている。その結果、自殺率の増加、飽食、人口の低下につながってしまっているように考える。我々は今、生きているのだろうか? エネルギーを消費するだけの死体ではないか。生きることとは何だろう、と考えてしまう。生物の原点に戻りたい。江戸時代あたりに戻りたいと考える。( 4th-year student S )

生物にとって続くことが最高の価値というのを聞いて、人間は生物らしくないと感じました。もちろん生殖への本能があるのは同じだが、子をつくらないという選択をする人間は続くことだけを最高の価値としない。人間は不思議だと思う。死を利用して、体を更新していくという考え方はとても好きである。死をネガティブにとらえない、死をスタートと考える。どこか聖書に似たような印象を受ける。利己主義がやめられないから広い利己主義で後の世代を考えていく、自分が考えもしない思想で面白い。環境も「私」の一部と考えると周りを全て私と考えることができる。キリスト教には隣人愛があるが、これを利己主義でも実現できるのではと思う。生物学の目線から時間や価値観を考えることができることを実感した。この世の永遠とあの世の永遠を求める。科学的といわれるものと宗教的なもの、どちらも価値があって、どちらも真実。科学的と神的なものの共存を感じることができた。( 1st-year student H )

11-08-16 
Lecture 8 The Emergence of Humankinds

スペンサーの進化論は非常に西洋的だと感じた。どれが優れている、劣っているという考え方は危険で、そういう面からみても人類史の一端を見ることが出来る。既に何人もの生徒が言っているとは思うが、人間至上主義は結局、孤独への道を歩むことだと思う。人間様が正しいのだと傲慢な態度をとり続けたから今の地球がある。人類は何種類の生物種を絶滅に追いやったのだろうか。環境問題を考えるためにもBHを必修科目にして欲しい。そうすることによって環境問題のみならず、多くの社会問題の解決の糸口をつかむことができるのではないかと思う。( 2nd-year student Y )

ダーウィンの「生命の樹」のあるべき理想の姿はないというように考えれば、今人間の中でも問題となっているジェンダーについてもそう考えれば、誰もが自分のありのままの姿で生き、かくすことはないとつなげることができると感じた。スペンサーの進化論のように、まわりに適応できない生物は絶滅してしまうのならば、彼らはどうなってしまうのだろうか。生命の樹のように、優劣を単純に決めつけてはいけないと私は考える。人類は今も見つかっていない類の人間がもっといて、鳥類などのように「ワシ」や「ペンギン」などと分けることができるということは、今の時代ホモ・サピエンスのみと先生は教えてくれたが、実は分けられるかもしれない。見た目や食べ物、生活スタイルは違わないが、虫などから見る人間は、北半球、南半球などで違うと感じているかもしれない。日本人、アメリカ人などとしているが、文化や生活、性格は違う。しかし今、そのように分けてしまうことはできない。なぜならそれは差別となってしまうから。( 1st-year student O )

11-15-16 
Lecture 9 The Era of Agrarian Civilizations

農耕文明の始まりこそが人類最初の叡智の結晶であると思うし、これ以上の成果を今後生み出すことはないのではないかと考える。なぜなら、農耕を始めたことこそが、人類を野生動物から完全に逸脱させた証だと思うからだ。目の前の食物を本能的に手に入れようとするのではなく、長期的な計画を持って、食物を栽培する。それは人類が本能を抑えることに成功し、理性を手に入れた証明なのではないか。それこそが「人類」を真に「人間」たらしめていることだと思う。これ以上の成果となると、人類は最早生物の枠を超えてしまうのではないか。( 2nd-year student W )

人間を地球の生態系をくずす外来種として表して積極的ではない姿勢をもつ人もいましたが、私は少し違う考え方をしました。もちろん人間が地球の環境に与える悪影響は自分が知っているよりもっと恐ろしいでしょうけど、地球もしくは宇宙で理由のない現象はあまりないと思います。外来種で例えましたけど、外来種の中でも特定した目的のための導入種があります。きっと人間が地球で進化したのは、知能を持って地球に変化を与えてくれる存在が必要だからだと思いました。…人間として進化して私達が地球でやるべきこと、人間の存在の理由は思考の出来る知能をもっている私達の課題でしょう。それに近づいて行くのがビッグ・ヒストリーだと思います。…人間という生物は大変強靭ですぐれた生物です。たとえ理由のない偶然のかたまりで出来たとしても、その理由、私達が地球に存在し続けねばならない理由は私達が作ればいいです。今はその過程だと思います。( foreign student L )

11-22-16 
Lecture 10 The Modern Era

前のコメントで「人間は地球外生命体ではないか!」と書いたことに関して、正直地球外生命体は言いすぎました(注)。でも、今の人々の暮らしはそう思えてしまうほど人口が増えすぎてしまい、又、すばらしい技術や知識を無駄にしているように感じるのです。地球や自然に対して「対策しなければならない」と口だけ言っていて何も対策せず、今この時だけの利益を優先してしまっている傾向にあります。技術のスピードが速すぎて汚染物質を自然が浄化するスピードが追いついていない中、エネルギーの使用をやめようとせず、利益、楽で便利な暮らしを選ぶ…人との直接の関わりがうすれ、運動不足、ロボットやコンピュータ化…この先の未来には人間という生き物が退化するイメージしか見えないのです。人間の幸せな暮らしは本当にそこにあるのでしょうか。自然や地球があるからこそ私たちは生きています。人との関わりやすばらしい知識や技術を地球や自然のために使えるように、今の私たちの生き方を見直していくべきだと思います。エコロジーデザイン(特殊講義という授業)で農業について学び、野菜を育てる中での人々との関わりなどの話を聞いて、人の幸せや人らしい暮らしはここにある!と思いました。人間の生き方は身近なささいなところにあるものだと感じる。それを知るためにもビッグ・ヒストリーの宇宙から見た考え方は大切だと思いました。( 2nd-year student U )
 
(注)第8回講義に対するコメントの中で彼女は次のように書いている。「生物学の中では進化論が正しいとされています。しかし本当にすべての生物が進化したのか私は疑問に思います。特に人間は地球の美しい循環に悪影響を与え、支配し、更に知識を手に入れようとする生き物であるように思います。生態系をくずす外来種と同じように感じるのです。人間は何かのきっかけで地球に現れた地球外生物なのではないでしょうか」。

「平和」はいままでも、そしてこれからも残っていく課題だと思う。「争い」は自己中心的な考えから生まれる。そしてその自己中心的考えは、「他とは違う、強い自分」をつらぬくためにでてきているのだと思う。誰もがビッグ・ヒストリー的な考えを持ち、人間はみな同じように猿人から進化してきた仲間であると認識することが、平和への一歩であると思う。( 3rd-year student T )

11-29-16 
Lecture 11 Special Lecture ( 2 ) Human-caused Scratches on Earth Considered from Space Agriculture

宇宙農業は火星に生命を住めるようにすることだけでなく、シンプルで無駄な物が無いことが一番ではないかと思わされ、そして原点回帰の必要性を感じさせられました。循環や再生利用を主として、自分たちから排泄するものなど、必要最低限のものを利用して農業を行うことができる。しかし、人々に必要な食物を作り出せて、ゴミを出すこともなく、環境にとても優しいです。きっと、人類が農業を始めたばかりの時も、こんな感じだったのかなと思いました。あるものだけを使い、必要最低限の材料だけでやってきたんだろうと思います。火星での農業を考えると、地球には無駄な物が増えすぎています。生物たちが生きていく自然環境や私たちの食物をつくり出す手助けとする生物が急速に消滅していっています。宇宙農業は、私たちに改めて本来あるべき姿を見せてくれ、原点を再認識させてくれたように思います。( 3rd-year student K )

火星で農業をしようとしているが、何故宇宙で農業をしようとするのか。資源の拡大を目的としていることはわかるが、火星で農業をすることは人間が火星を我らの領土にしようとすることになるのではないだろうか。火星には生物がいるかは未だにわからないし、誰のものでもないだろうが、火星で農業をするところが、昔の日本などの国が植民地にするところを連想してしまう。人間の支配欲はあまり変わらず、対象が他国の領土から地球以外の惑星に代わった。ほとんどの人は実感が湧かないだろう。火星には生物がいるのかわからないし、例え生物がいても、その者達は人間ではないのだから。( 1st-year student Y )

12-13-16 
Lecture 12 In a Time of the Anthropocene

全てを自分のコントロール下におきたがるのは人間の性なんでしょうか。「征服」というのは欧米に深く根づいた価値観です。共存や自然に任せるアジア圏の思想と違い、欧米の価値観は障害を克服することで発展してきました。医学は分かりやすいです。東洋医学は漢方などで内から、自らの治癒力を主に治そうとしますが、西洋医学は摘出や人工の薬など外部の力によって問題を元から取り除いてしまいます。この「征服」という価値観と「資本主義」は深く結びついていると思います。とにかく時間を短く、コストを低く、これを追い求めた結果が「均一化」や「効率化」です。自らのコントロール下におく、イレギュラーがおこらない、というのはとても管理が楽です。自分の想定を超えた時がもっとも時間もコストもかかるからです。正直、数十年後には人のクローンが存在していると思います。想定された性格、想定を超えない行動。量産できる、命を命と思わず、危険な場所で作業をさせられているクローンが。( 4th-year student Y )

ハーロウの猿の話を聞いて、すべての動物が求める物は温もりなのではないかと感じた。いくら食べ物があろうと、どんなに空腹で死にそうであっても、動物は安心を求めるのだなと感じた。それは人も同じで、どんな状況でも人と一緒にすごしたいと思うのではないか。人も動物も、一人、一匹では無いと思えることが大事なのではないかと思った。先日見た「この世界の片隅に」でも、原爆で母を亡くした少女が、その母が人の姿で無くなるまでそばにいるというシーンがあった。どんな絶望であっても、人は人を求めるのではないかと感じた。( 1st-year student K )

12-20-16 
Lecture 13 Extra-terrestrial Life

もし地球人と同等の文明を持つ宇宙人と交流が持てるようになった時、地球人の意識はどのように変化するでしょうか。地球人の大半は自身を「生物界の頂点に君臨する種族」だと考えていると思います。人間が頂点であるという意識を長い間持っていた人類が、その意識を打ち壊すような行動の宇宙人と出会った時、地球人は新たに「宇宙の中の一つの種族」であるという意識を持つ事ができるでしょうか。もし地球人を頂点とする意識が捨てられなかった場合、宇宙人に対して反感、差別意識等の争いの原因になるような感情を持ってしまうのかもしれません。果たして今の地球人は、宇宙人と共存できる意識を持った大人な種族なのでしょうか。地球人同士の争いや差別を未だに解決できていない現時点では、そうとは言えないかもしれません。( 4th-year student A )

我々人間は何故宇宙人を求めるのか。知的好奇心や、可能性を求める意味は確かにあるだろう。しかし私は、人数が増えに増えた現在でもなお、孤独を感じているからだと思っている。高度な技術や、人類史を通して積み重ねられた知識をもっているからこそ、自分たちに近しい「何か」を求めているのではないだろうか。確かに私たちは犬や猫に親しみやいやしを感じられる。しかし知的な交流を持つ事は出来ない。人間同士ではどうか。多様性を認めない過去も、多様性を認めだした現在も、人間は「人間」である。種としてのヒトは、宇宙という観点では、今現在は孤独なのだ。もっとも私はこの孤独が否定されるべきものだとは思っていない。人間は孤独を感じるからこそ、他者を受け入れられ、違いを認められるのだ。…私は人間のより良き明日のためにも、素晴らしい孤独を感じていたい。無論、満たされることも重要であるが。( 3rd-year student I )

01-17-17 
Lecture 14 Special Lecture ( 3 ) Big History and Information Revolution

私は一人のクリエイターとして言いたい。情報社会化は本当に正しいのだろうかと。私は佐々木さんの、「情報社会化によって情報の希少価値が下がり収入も下がる」という言葉に考えさせられました。私自身も作曲をしているが、やはりどうしても「昔、同じような曲があった」や、「〇〇に似ている」という言葉ばかりが返ってくる。では違う作品を違う作風で作ると、結局また別のアーティストに似ていると言われてしまう。ならば何が本物なのか、と考えると頭がおかしくなりそうになってしまう。私自身は音楽を通し、様々な感動、人とのつながりも得てきた。しかし私より下の世代の人々と話すとき、彼らは「この曲が好き、このアーティストが好き」というこだわりがない。楽器はやるけれども音楽は好きではないという人たちなのだ。そんな人々が増えてきている。これもわざわざCDを買わずして曲を聴けるようになってきた弊害なのだろうか。今後情報価値の低下により、曲も人々の心に響かなくなるのだろうか。私たちがしている創造は、ネットに埋もれるデータのひとつになってしまうのだろうかと考えると何もわからなくなる。世界は間違った方向に向かっているのだろうか。( 4th-year student S )

初音ミクのようなボーカロイドは、同じツールを用い、同じネットの世界で個々がそれぞれ曲をつくってアップロードしたり、動画をアップロードして、それをネットの世界で世界中の人々が楽しみ、コンテンツがより成長していく様がすごくビッグ・ヒストリー的だなと思った。ビッグ・ヒストリーは大きい概念だが、今手元にある片手サイズの端末の中にネットという形で身近なところに存在しているように思えた。ネットにより世界が一つの場所にまとまったような今が逆に個々の快楽や感覚をより個人に適した形にしていくという状態はおもしろいなと思った。( 2nd-year student S )

01-24-17 
Lecture 15 Wrap-up

ビッグ・ヒストリーは、私が3年間受けてきた授業の中で一番考えさせられた授業でした。宇宙や人類という壮大なテーマを考え、「自分とは何なのか」ということを考えさせられました。難しい疑問ばかりが残りますが、自分と宇宙について、更に、自分を見つめ直す時間にもなりました。また、300人以上いるこの講義で、様々な人の考えを聞くことができ、「こういう考え方があるんだ」と多くの刺激を受けることができました。また、ゲスト講義も楽しみの一つでした。火星での農業や、情報社会が今後どうなっていくのかなど、今後生きていく中で通過する問題を具体的に想像することができ、私たちはどうするべきか、など考えることが楽しかったです。( 3rd-year student I )

ビッグ・ヒストリーのような授業は高校でも大学でもあまり学べないので、講義を受けて衝撃を受けた。私が学んでいたのは、1つの部分を細かく学んでいたので、全てつなげて広い目で見ると別のことが見えてくる。今までなぜこのような考えができなかったのか、もっと早く気づいていれば良かったなと思った。( 1st-year student I )

普段受けている講義では、一学問というある種のメガネを通して世界を見ている。勿論、専門性をもって特定の分野について深く追求し、知識を積み重ね、発展していく事は重要である。しかし広い視点で世界そのものを見直し、ひとつひとつの繋がりと、そこから生まれるものの意味や役割を知る事は、特定の分野について学んだり、他者の知を借りて協力していく力そのものの基盤となると思われる。そういう意味では、ひとつの事に近づいた視点ではなく、関係性を広く見るという形で学ぶ事が出来たビッグ・ヒストリーの講義はとても興味深く、面白いものでした。もっと早く、小学校で学ぶなかで、ビッグ・ヒストリーに触れたかったと思うほどである。今後、自身の為にビッグ・ヒストリー的な見方で学び続けるだけではなく、もっと若い人達に向けて、この見方・考え方を伝えられたらと考えている。例えば絵本でビッグ・ヒストリーを表すなどして。( 3rd-year student I )

ビッグ・ヒストリーは自由に考えることができる。というのも、他の分野の授業だと、決められたテーマ内で思考し、意見を述べるということが求められるが、この授業は真逆でいろんな分野から自分が重要だと思う事柄を引っぱりだして、ビッグ・ヒストリー的な意味に結びつけ考えることができる。そのような面でビッグ・ヒストリーは自由に考えることができるので私にとって自分の意見を主張しやすい学問であると思いました。ビッグ・ヒストリーの授業を行っているのは日本でこの桜美林大学のみであるが、この授業を最後まで受け、非常に広い範囲で物事を考える力を身につけられるようになったと自分で思うので、このビッグ・ヒストリーの授業が日本各地でいろいろな場所で行われればと思いました。( 2nd-year student T )

宇宙規模から学ぶビッグ・ヒストリー、今までにない広い視野から歴史を学ぶことは、今の「地球の美しさ・大切さ」を見失い、目先の利益や多くの情報に振り回され忙しく生きている多くの人類に大切なことであると思いました。宇宙から学ぶことで考え方や生き方を見つめ直し、人類はどのように生きるべきなのか、考えることができるビッグ・ヒストリーは、中高で学ぶくだらない人間の歴史よりも重要なことを教えてくれているように感じました。又、宇宙人はいるか否かなどまだ科学的に証明されていない部分、つまり答えがない分野を想像する発想力を育むためにも良い学問だと感じました。もっと多くの人が学ぶべき新しい学問であり、大学又は中高などの頭のやわらかい時期に必修として学びたかったです。むしろ今後必修となるべき授業だと思いました。今回、科学的視野からみたビッグ・ヒストリーだったので、全く別の新しい視野を注目したビッグ・ヒストリーも勉強してみたいです。( 2nd-year student U )

このビッグ・ヒストリーの授業で私は少し変わったように思う。思想の範囲が広がったと思う。ビッグ・ヒストリーの授業で、そんなことありえないだろうということを平気な顔で語っている様々な人がいた。そこで私は、ありえないようなことを想像し、それを発信することは恥ずべきことではないと理解した。これからの人生、他の人とは違った大きな視点で物事を見られる人間になれるよう努力したい。( 1st-year student O )

最初、ビッグ・ヒストリーの第1回を受けた時は、リアクションペーパー(毎回の講義の終わりに感想や自分の考えを書き記すもの)に何を書いたらいいのか、何を求められているのか、よく分からなかったのですが、先生のコメント・他の学生のコメントを見て行く中で、日常の中でも「これってビッグ・ヒストリー?」という風に考えることもあって、授業で求められることが理解できるようになりました。毎回のコメントに選ばれるのか、楽しみとドキドキをいつも感じていました。他の授業よりも先生方が楽しんでいて、何かの番組を見ているかのような気持ちでした。文系も理系も全ての壁を無くしたまさにリベラルアーツを体現した授業であったと思います。入学して1年でこんなにも巨大で自身が小さく見えてしまう授業に出会ったことはとても大きいことだと思います。一つの考えに固まることがどれだけ危険でおろかな事なのかを知ったことで、これからの3年間がより興味深いものになると思います。( 1st-year student H )

BH(ビッグ・ヒストリー)は広げる風呂敷がとてつもなく大きく、15回の講義を終えた今、与えられた知識をどうしたらいいのか分からず終わってしまいました。しかし、ここまで多くの疑問が出てくる講義は他にはないのではないだろうか。…自分の中に新しい考えが芽生えたり、知識が増え、これがいつか実際の経験につながり、新たな体験となることを今楽しみにしています。以前にも書いたが、メアリーの部屋の疑似体験ができるのではないでしょうか。( 2nd-year student I )

ビッグ・ヒストリーを受講して思ったのが、ビッグ・ヒストリーはアクティブラーニングの一種なのではないか、ということです。決まった答えがないから、何回も何回も自分で考え、自分なりの答えを出す、それに制限などなく、宇宙がもっている概念、つまり存在している全てのものが範囲である、という幅広さです。つまり、やればやるほど、触れれば触れるほど自分が持っている価値観が広がり、新しい視点が手に入るのでは、と思います。この授業は人の想像力・発想力を高めます。一般認知を高め、多くの人がこの学問にふれる日がきてほしいです。「面白そう」と興味から始まったこの講義、半年間触れられたことに感謝します。( 1st-year student H )

このビッグ・ヒストリーを受講してみて、自分がどれだけ小さな世界で生活し、小さな世界しか見えていなかったのだろうととても実感しました。宇宙のどこかで地球の誕生が見れると知ったとき、僕という物質の原点を見れると思いました。今の人間が仮説として語っているだけかもしれないが、見れるかもしれないという「夢」があるだけでもとてもロマンを感じる。1人の男として(女性もあるかもしれないが)ロマンというものを大事にして生きていこうと思う。子孫のため、子孫の子孫のためにも今を生きる僕達が物事を考え、アクションを起こしていこうと思う。世界を見る目、視野がとても広がった講義でした。1年生のうちにとってとてもよかったです。片山先生、宮脇先生、特別講義をしてくれた3人の先生方、ありがとうございました。( 1st-year student Y )

 2017