Oberlin Big History Movement

Students' Comments in the 2017 academic year

WE ARE
COSMIC CITIZENS

Sep. 19, 2017 
Lecture 1 Introduction

今回の授業でとても印象的だったのは、デヴィッド・クリスチャンの映像の中で語っていた、「DNAにより遺伝子情報をコピーしているが、限りなく低い確率でエラーが起こる。それが学習と呼ばれるもの」という考え方だった。DNAに欠陥やミスがあれば、普通はミスであり問題だと考えられるが、ミスが起きなければ発展することもなかったと考えると、とても不思議なことだと感じた。( 3rd-year student I)

人間からの視点だと、とても視野が狭いから、地球と宇宙全体からの視点でみることで、人間がこれまで見たことがない見方で地球をみることができる、そんな神の眼を私も体験したい。…立花隆の『宇宙からの帰還』からの抜粋された文章は、とてもとても神秘的で、想像するだけでもとってもわくわくするような、とてもすばらしい内容でした。是非、本を買って読みます!( 1st-year student U)

今回の授業で私は、「デヴィッド・クリスチャンの原点」から「キューバ危機」のことについてが印象に残りました。他国との冷戦状態の中、いつ核戦争になるかわからない中で暮らしている人々の心境がとても伝わってきました。この心境は少なくとも今の北朝鮮のミサイルと似ているのではないかと思います。日本を飛び越える威力があるといえども、いつ日本に落ちてもおかしくない状態で不安でいっぱいの私達ですが、だからこそ、「キューバ危機」についての文書は私の心に響いたのではないかと思います。このような歴史をこれから学べるというのは贅沢なことだと思いました。( 1st-year student S )

Sep. 26, 2017 
Lecture 2 Big Bang: The Beginning of the Universe

周期表を理解すれば化学を半分以上も理解できたも同然ということを言っていたが、それは化学だけではなくこの世界のことも大きな視野で見れることだと思った。私は中学・高校と周期表を強制的に覚えてきたが、全く意味のないものだと思って生きてきた。でもこの世界や人間自体が原子や分子がなければ作られていないので、考えてみれば原子や分子を理解することが一番この世界の根本を理解する近道だと思った。今後、周期表や元素を見る機会があれば見方が変わってくると思う。…星を作るためには「ズレ」が必要であるという事実から、時にはズレが必要であり、ズレは悪いものではない、自分は他人からズレていると言われるけどズレても悪くないのかと思わさせてくれた(笑)( J.F. Oberlin highschool student S )

(前回の講義に対する他の学生の)コメントを読んで気付いたが、地球を離れ宇宙的な視点を持つと、自らが小さい存在に感じる。その時、「私はなぜ生きているのだろう」という問いにつながるのではないだろうか。哲学の専攻の私にとっては、考えるべき問題だと考えている。現在進行形の答えとしては、「人間個人(私個人)の行動が世界に何かしらの影響を与えている、また与えることができると信じることを、意識的にも無意識的にも行っているから。」というものである。しかし、これが、宇宙的な観点にまで広げていっても可能であるかは、また考えなければいけないと感じた。イーハトーブ幻想の中の人間も分子からなっている、というセリフがあったが、宇宙や星も分子から成っているならば、人間の体も、宇宙や星々と同じなのではないだろうかと感じた。そう考えるならば、宇宙的視点の中での恐怖は、多少は緩和されるのではないだろうか。( 3rd-year student N )

Oct. 03, 2017 
Lecture 3 The Formation of the Solar System and the Earth

液体の水がある惑星には何か生き物がいるかもしれないというのはよく聞くし、生命が生まれたのは海というのも知っている。しかし、それは地球での話であり、宇宙の他の惑星では違う方法で生命が生まれている可能性もあるのではと思っている。もしかして逆に生命が海から誕生した地球こそが例外の星で、他の惑星では生命は海から生まれないのでは?とも思った。…ビッグヒストリーに触れる前は無意識に地球基準で物事を考えていたが、少し触れてからは基準にしていた地球は案外ちっぽけだし、自分はもっとちっぽけだと考えるようになった。また、今までなら地球外生命や生命が海から生まれないかもと述べるなんてファンタジーがすぎる中二病か?くらいに思っていたが、今では逆に本当にあるかもとすら思えるようになった。( 1st-year student A )

私は、地球に住む人類だけがこの広い銀河の内に存在する唯一の知的生命体だと考えるのは無理があると思い、宇宙人の存在を信じています。そして、その宇宙人によって、人類全体が地球人になれると思います。地球より広い世界を認識することによって同郷の意識がそこに住む人々に生まれ、それによって人々はまとまる。日本に住む人々が「日本人」という意識を持ったのは、海外に目を向けるようになってからですので、その可能性の鍵は「宇宙人」だと思いました。( 4th-year student I )

Oct. 10, 2017 
Lecture 4 The Emergence of Life

世界中では、私が今こうして講義を受けている間にも生命が増え続け、この先も地球上から命が消えることはないと思いますが、人類が永遠に残るとは限らないと思いました。実際、ひと昔前に日本が水俣病やイタイイタイ病などの公害に侵されたように、たとえ世界規模になってもウイルスなどで人類が滅亡するのは全く無い話ではないなと思いました。地球のほとんどが人の手によって住みやすい世界になっていますが、それによってどこかで新しい生命が殺されているのならば、私たち人類が思う進化は、もしかしたら、地球や宇宙にとっての進化を止めているのかもしれません。( 2nd-year student S )

共生の話を聞いているときに、もし人間に光合成ができるようになったら、という話を読んだのを思い出しました。人間にミトコンドリアを取り込んで光合成ができるようになったら、二酸化炭素と水があれば生命活動はできると書いてあった気がします。そのようなことは可能なのでしょうか。生命は進化するので、人間も食料が必要のない生物になったら、食料不足による戦いもなくなるし、田んぼや畑も必要なくなるので、地球の景色がとても変わるのではないかと思いました。でも、そんな世界になったら少し寂しいなとも思いました。( 2nd-year student T )

最近、人類がAIに勝てなくなってきた。ついこの前、佐藤天彦名人が将棋コンピューターソフト「PONANZA」にストレート負けした。コンピューターの将棋は100年後の将棋といわれている。ディープラーニングという手法で、24時間四六時中同じコンピューター同士で何万、何十万という対局を行い、データを蓄積・分析して経験を積んでいく。そうして行き着いたものは、100年先の将棋だそうだ。さて、宇宙の謎を解き明かすのは気が遠くなるほどの時間が要る。しかしそれは人間ベースの話だ。もし100年分の解析・計算ができるAIが本気で宇宙を対象に解析をしたら…?自分が生きている間には分からないだろう、と言われていることも目撃できるかもしれないのではないか。AIが発達した世界が楽しみだ。( 2nd-year student T )

Oct. 17, 2017 
Lecture 5 Special Lecture ( 1 ) The Diversification of Life

私は趣味でアクアリウムをしているが、水槽の景観を損なわせる原因として知られる、厄介な天敵であるのが「シアノバクテリア」。まさかこのにくい奴が最古の生命体であったことには驚いた。何度駆除しようとも水槽内に発生する、そのすさまじい生命力こそ最古の生命体であるゆえんであるとしたら、生物の祖先として多少は敬うべきかもと一瞬考えたが、躊躇なくこれからも排除していくつもりだ。このようにして私は人類の祖先と仕方なく関わっている。他にも様々な生物と身近に付き合っている我々だが、少し周りを見渡せば他にも生命の祖先達と出会えると考えたら、ビッグヒストリーはどこにでもあると知り好奇心がわいてしまう。( 2nd-year student O )

冒頭での「人間がいかに素晴らしくないか」という話の切り出しにとても引きこまれた。基本的に自分の視点からしか物事を考えていなかったので、「生物」という大きなくくりで考えると、本当にたまたま進化して今の姿になったのだとわかった。広い視点で生物をみると、人間はそこまで特別なものではなく、魚の顔の人型の生物が歩いていた可能性もあったと思うと面白いと思った。( 4th-year student S )

Oct. 24, 2017 
Lecture 6 Dinosaurs

恐竜の時代は、は虫類>ほ乳類・昆虫類であり、今の時代はほ乳類(人間)>は虫類・昆虫類という力の関係だと思います。となれば、人間の支配の天下が終わった時、次は昆虫の天下になるのでしょうか?もし人間の絶滅の時が来たら、散々地球を荒らしたツケとして、すんなり絶滅すべきでしょう。かつて何かの本で遠い遠い未来、人類の子孫にあたるほ乳類は進化したクモの家畜となっている、という説明を見ました。今、ムシケラとして歯牙にもかけていない昆虫に、未来は支配されているかもしれないと考えると、バカバカしいとも思いますが、長い地球の歴史から見ると、支配者の転換なんてザラに起こるのかな、とも思うようになりました。( 2nd-year student N )

植物は食べられたくないから進化して毒を作っていると聞いたが、もともとない毒をどのように生成しているのか。植物も考える力を持っているということなのか。もし考えないで毒を生成しているのだとしたらすごいことである。脳を持たず進化できるということは、DNAが考えているのではないだろうか。少なくとも私はそう考えている。人間が持つ脳はあくまでDNAの考える力を特化させたもので、絶対に必要なものではないのではないだろうか。そうなると、考えているのは人間などの動物だけではないのだと分かる。これはすごいことなのだとあらためて感じた。( 1st-year student S )

Oct. 31, 2017 
Lecture 7 The Emergence of Humankinds

動物と人類の違いは未来を想像できるか否かだと思います。動物は今を全力で生きるために行動しているが、人はまだきてない未来のことで悩み命を捨てる人もいます。未来を想像、創造することができるのが人々の悩みの種であり、他とは違う優れた所だと思います。( 4th-year student O )

今日この日まで、デカルトの「我思うゆえに我あり」という言葉を絶対的に正しいものだと思っていました。「自分を誰かと思う誰かがいるなら、それは自分なのだから自分はいるだろう」という認識でしたが、それに知性がないものを機械や道具と見なすという側面があることに気付かなかったのは、想像力が足りなかったなと思いました。『ウルトラマンコスモス』にカオスヘッダーという宇宙生命体がいます。彼らは秩序のない宇宙に1つの秩序を作るために怪獣や人間にとりつきます。とりつかれた者は初期反応として暴走しますが、「秩序のためには少しの犠牲は仕方がない」というのが彼らの主張です。「秩序(知性)がある方が優れているのだから、秩序(知性)がないものには何をしてもいいし、秩序(知性)を与えるのは善いことに決まっている」という考えが本当に正しいのか、2つの話が僕の中で上手く対応できるんじゃないかと勝手に思いました。( 2nd-year student F )

Nov. 07, 2017 
Lecture 8 The Origins of Agriculture

文字を用いることが人類に大きな進化をもたらした、という話にとても納得しました。例えばミツバチは、独特のダンスをすることでえさとなる花のミツの在処を同じコロニーの働きバチと共有します。これだけを聞くとミツバチも相当に賢い社会性を持つ生物に思えますが、ミツバチには当然文字は使えないので、その花の在処を記録としては残せません。もし、ミツバチが文字を扱えるように進化すれば、花の在処を新たなコロニーに受け継ぐことができ、ミツ集めの効率が良くなるでしょう。文字を使えるようになった結果の進化は、ミツバチに限らずあらゆる生物を良い方向へ導いてくれるもののように私は思いました。正直、文字というものは、人間だけが使うにはもったいないと思うのです。( 2nd-year student N )

アラビア数字が世界で最も有力な言語とおっしゃっていましたが、ボイジャーのゴールデンレコードに書かれたように、地球内だけでなく、宇宙の共通言語になるのが数字だと思います。だから、言語学などももちろん重要ですが、将来宇宙人と話す機会ができたとすれば、まずは数字を介することになると思うので、ぜひとも数学を学ぶべきだと思います。( 4th-year student J )

Nov. 14, 2017 
Lecture 9 The Modern Era

今の世界では、人間に好かれるか嫌われるかで動物の増減が圧倒的に差が出るんだなと思いました。犬が4億匹いるとされていて、人間のペットとして愛されていて人間の保護下にあることが大きな理由だろうし、犬と姿形は似ているのに人間に嫌われているオオカミは絶滅まで危惧されている。人間は多くの生物を絶滅させてきたが、地球目線で物事を見た時必ずどこかに歪みが生まれると思う。自分達人間だけが繁栄していくことがはたして良いことなのだろうか。( 4th-year student I )

マルサスのわなといい、日本人口の推移の予想図といい、先生曰く無理な成長。その通りだと思う。その無理のある進歩に見合わぬ当時の倫理感が、インディアン虐殺をまねいたに違いない。その分益獣である家畜の牛や犬などは人口の増加に比例して増え、害獣である狼などは殺され数を減らされた。なんとも皮肉な結果だ。これは人が、成長ではなく維持を目標として安定した進歩を望まない限り終わらぬ負の連鎖に思える。近代農業的に見たらそうかもしれないが、世界の現状況から見れば、マルサスのわなは突破できていないように見える。( 2nd-year student O )

アルジュナの映像を観て、上辺の知識が邪魔をして、感覚を失っているという台詞が特に印象的だった。はるか昔の人に、本当に周りにある物や生き物やお腹の赤ちゃんの気持ちを感じ取る力があったのならば、現代の人は多くの感覚を失っていると気づきました。現代の人がここまで感覚を失ってしまったことには、今の情報社会が感じるより前に人々に情報を与えてしまっていることが関係していると思いました。情報社会はとても便利ですが、はるか昔のように自分で感じ取る力はもうほとんど失っているのではないでしょうか。元々備わっていた力を犠牲にして得た情報社会の中で生きる人々は、遥か昔よりも賢いかもしれませんが弱弱しくなっていると思いました。昔の力がそのまま残っていたとしたら、地球温暖化や絶滅危惧や中絶等の問題や人間の考えに大きな影響を及ぼしていたのではないかとも考えました。植物や動物の気持ちを感じ取る力は地球が抱える問題解決のヒントにもなり得る気がします。( 1st-year student N )

Nov. 21, 2017 
Lecture 10 Special Lecture ( 2 ) Multidimensional Approaches to live a Big History

「視点を変える」「次元を変える」「視野を広げる」の中で、最も大切にしたいと思ったのは「視野を広げる」です。特に枠・フレームの「外」に目を向けるという話を聞いて、まさしく「井の中の蛙大海を知らず」な自分なのだと気付かされた。私はただ井戸の底から大海を見て、大空の変化だけが全ての世界、それが理、それが得られるものの全てだと、本当はフレームの外のことを知っているはずなのに、ただ生きているといつのまにかフレームの中だけが自分の知っている世界だと誤認してしまう。立脚点を変える大切さ、万物の起源と終わりを知ること。今年の12月20日からフランスの高山のあるど田舎に行ってくるので、全身で感じて人生の学びとします。( 4th-year student Y )

マクロスシリーズなどを作られている河森正治さんの脳内ビジョンはどうなっているのか、どういった経緯でああいったアニメを作っているのか、普通では聞けないような話が聞けて、凄くタメになりました。ビッグヒストリーというと今まで宇宙的視点や地球や生命の誕生など比較的広い視点のものでしたが、河森さんのビッグヒストリーの観点は細部に渡った見方であるなと思いました。流動するものと貯蔵するものを意識するなど、普通に生きていては気付けないような視点で見ていたり、考えていたりする発想に驚かされました。立脚点ということから考えても、多くの視点を理解することもビッグヒストリーを考える上で必要なことなんだなと思いました。( 3rd-year student S )

河森監督が物作りをする上で重要だと定める3つの点、視点・次元・立脚点を変えるということ。ただそう考えているだけではなく、実際に自らが世界を超えて行動した結果の先に見つけたものであると知り、自身が世界をどう見るかの主軸を持っている言葉に深みを感じた。「誰もやっていないことをやる。」この、今の時の流れに慣れ、五感の鈍った人の琴線に触れる方法を、私と同じ大学生の時代に、早くからおもちゃ作りに携わる中で見つけてしまうなんて、ただバイトだ恋愛だと話に花を咲かせている場合ではないと思ってしまった。五感をとぎすまし、自身の感覚をはるか遠くへとばし、自身の感覚を地球に立ち返らせ、ビッグヒストリーをそこに感じる。現在の限りあるエネルギー問題を考える中で農業と出会い、生命の巡りがそこにあることを見つけたことが、かの有名なビジョンクリエイターである河森監督のビッグヒストリー的視点を築き上げたのだと知ることができた。( 2nd-year student O )

Nov. 28, 2017 
Lecture 11 In a Time of the Anthropocene

『仮面ライダー』ができる前は、『ウルトラマン』が伝えるような科学信仰(人がゼットンを科学の力で倒すなど)や高度経済成長の中で明るい世の中だったが、「いつかツケがまわってくるんじゃないか」という不安もあり、その中で科学の負の側面を描いた『仮面ライダー』が大ブレイクしたということを、『ヒーローたちの戦いは報われたか』という本の中で知りました。遺伝子組み換えを行い怪人を作るショッカーに対して、仮面ライダーはいつもと変わらぬ日常と平和のために戦うことと、「自分のことを正義というのはヒトラーにだってできる」という理由で作中で正義の味方と呼ぶことをしなかったらしいです(V3の歌詞に出てきた気がしましたが)。自分たちの利益のために遺伝子組み換えを行い他をかえりみぬショッカーと、恒久的な平和のために正義の名を借りることなく(コモンセンスに関わらず)戦う仮面ライダーの関係性は、ビッグヒストリー的だったのではないでしょうか。( 2nd-year student F )

資本主義の生み出した多様性、と書くと聞こえは良いが、その実態は環境にどのような負荷を与えるのかも未知数な、わけのわからない物質を生み出していたことだと理解しました。確かに人々の生活に利益をもたらした開発もあったと思います。しかしそういった物質(例えばフロン)が利益以上に負荷を及ぼすことに気付けなかったのでしょうか?実際、目先の利益に目が眩み、その陰に潜むマイナス面に気付けないのが、資本主義に染まった人間だと思います。そういった人間の失敗の繰り返しが、今日の様々な環境問題につながっているのでしょう。ゆでガエルの理論というものがありますが、まさにその通りで、今、私は地球の問題に対し頭ではマズイなと分かっていても、実感というものがありません。このままでは、気付いたら人類は滅びるしか無くなった、ということになりそうで怖いです。( 2nd-year student N )

この授業、良く「人間は〇〇をしている」「人間は〇〇になりつつある」というフレーズが使われるが、ふと思ったのがその「人間」という括りの中に自分が所属しているという自覚が無いように感じた。「自分」と「人間」を切り離し、「自分では無いどこかの誰かがしている事」として聞いている自分に気がついた。この感覚を持っている限り、人類が一つになることは無いのだろうか。「鉄腕アダム」という作品で、巨大隕石を破壊するために全世界の核発射プログラムにバックドアを仕掛け、全ての核を隕石に発射するという作戦を行っていた。ムチャクチャな作戦に聞こえるが、それを初めて読んだ時「なんて素晴らしい作戦なんだ!」と興奮が止まらなかった。ぜひこの地球にも巨大隕石にお越しいただき、人類を一つにしてもらいたい。( 1st-year student O )

Dec. 05, 2017 
Lecture 12 Thinking about Peace and Symbiosis + International Exchange ( A )

マルサスの罠や遺伝子操作、核兵器製造技術の拡散の話を聞いていると、人類最後の世代は僕たちだったとしてもむしろそれが当たり前だったのではないかと思う。正直に言えば理系学科を勉強するのを決めたのは、物理学者をかっこいいと思ったり核兵器の仕組みを知ってみたいという気持ちは確かにありましたが、震災を経て人は想像していたより核反応について知らなかったことを思い至ったことも大きかったと信じています。この大学で森先生の人間理解の授業で被爆者の映像を見て、自分も核兵器について何も知らなかったことや、同じく核兵器について何も知らない人が未だに大勢いて、人はまた核を使おうとしている現実を思い知り、もしかしたら科学を勉強して平和を実現しようというなら、それはあまりにも遅すぎたのではないかとよく考えるようになりました。もし人類最後の世代になり、科学知識が今さら何の役に立たなかったとしても、1人の人間として何かできることはないか探せないものかと思うようになりました。(2年 F)

科学の世界を正しく導くには宗教の存在が不可欠だと考える。国家の利益を第一とする政治家では限界がある。国家の枠を超えた平和というのを成していくには、単純な利害に囚われない人類全ての平和を希求する真の宗教指導者の存在が必要ではないか。グローバル社会といわれる現代、世界が1つになっていくには宗教の存在が不可欠だと思う。(2年 F)

われわれの知性と生命は地球生命的なものに直接のつながりをもつとありますが、この言葉を聞いて、コンピュータのネットワークのようなものを想像しました。コンピュータが誕生する前から既に自然のネットワークは形成されていて、コンピュータのネットワークとは比べものにならないほど偉大かつ深いのではないかと思いました。今はコンピュータの力が強く、あまり体感できませんが、何気なく存在し、私(含め人間)を支えてくれているのではないかと思います。(1年 N)

戦争を行う時に、人は爆弾を使って敵にしているのは人だけだということ。争いは、人だけを見ている行為だということ。その時には他の生命体のことなど考えていないということ。魚も虫も鳥も木も海も生きていることを忘れて、人類のことしか考えられない自己中心的な視点になっているということ。視野を広げなければ、共存すら自ら絶ってしまう。(4年 Y)

日本は周りの国からよく礼儀正しいと言われるが、あまり同意できない。なぜかというと、大学生になり電車に乗る機会が増え、バイトも始めたことによって社会人と接する機会が増えた。その結果、日本人の大人はここまで非常識で自己中心的なのかと痛感したからだ。区の体育館でバイトをしていて、色々な世代やスポーツをやっている人と関わるが、武道をやっている人、外国人は礼儀正しいと感じる。武道人と外国人との共通点を考えたところ、絶対的な存在があるということだ。武道人には武士道という精神があり、外国人には宗教がある。日本人は、もっと絶対的な存在をもつことが重要だと最近思い始めた。(1年 T)

Dec. 12, 2017 
Lecture 13 Extra-terrestrial Life

私が思うに宇宙生命体は、人が考える「枠」の外に存在している可能性もあるのではないかと思う。炭素型じゃなくて、機械型、ロボットも宇宙人と言えるなら、知性の集合体でよいのではないか。例えば、人間の脳から送られる「電気信号」そのものを知性の証として「生きているモノ」とできないだろうか。もし、生命と表して良いのであれば、宇宙には「電子だけの集合体」や「-電子」として存在しているのではないだろうか。また、現在の地球人では機械を用いても察知できない「何か」を発している「魂」の物質に視える生命体が宇宙に浮いているのではないか。地球人が定義している「生命とは」という枠の外に生命体は存在しているかもしれない。模索する際、仮定するのであるだろうが、仮定は「枠」である。しかし、我々人類は、文字や言葉に意味を持たせ、「シンボル」を必要としている。言葉にできない「何か」を察知するのは、言葉を持たない時代の祖先たちの方が得意かもしれない。( 4th-year student Y )

炭素型ではない宇宙人のいる可能性について話をしていましたが、宇宙「人」という言葉に違和感を覚えました。人という存在にこだわっているような、それ以外は受け入れないという視野の狭さを感じさせるような言葉だと感じました。それと同じような理屈ですが、「AIに人権はあるのか」という話題にも少し違和感を覚えます。AIに人と同じ権利を与えるという時点で、人間の方が偉いという印象を受けますし、「人間としての権利」を与えることで機械であるという個性を潰して同化を強要しているように感じました。( 1st-year student N )

『宝石の国』もビッグ・ヒストリー的だと思う。不老不死で毎日同じことを繰り返す宝石たちと、食事・排泄・死と人間と変わらない海の中の生物アドミラビリス族と、食事・排泄するが不死の月人の三種類が存在する。人間をそのまま不死にしたのが月人になるが、彼らはその生活に終わりを求めている。だが人間からすれば不死は素晴らしい、なりたいと思う。同じ不死である宝石たちとはえらい違いである。本来の人間の精神はどっちなのだろうかと、変わらないことに退屈さを感じない宝石たちか、退屈だと感じる月人か。宝石たちは、まるでロボットの様だ。変わらない毎日に疑問も何も持たずに同じことを繰り返す点が、プログラムされたロボットに似ていると思った。( 2nd-year student A )

Dec. 19, 2017 
Lecture 14 Special Lecture ( 3 ) Space Elevators and the Future of Humanity

「軌道エレベーター」そのものはオーガスで知りました。しかし、知らない間にここまで現実的な段階まで発達しているとは思いもしませんでした。確かに電磁気的な力は重力よりもはるかに大きいので、クライマーが巨大化(質量が増加)しても運んでいくだけのエネルギーを確保することはできそうです。本気で感動しました。以前から人類の増加はどうすればいいのか考えていました。結論としては、人は宇宙に出て農業を担ったり移民するためのコロニーが欠かせないはずです。宇宙エレベーター開発は間違いなく9つ目のスレッショルドになるに違いありません。しかし原子力を見つけたときのように、新しい科学技術を使うのには慎重になるべきでしょう。( 2nd-year student F )

宇宙空間には夢のような、新たな光景が広がっているように思えたので、是非生きている内に実現して欲しいです。しかし、それほど外宇宙に宝が散っているのならば、いずれ地球を捨てる、という選択も出て来るのではないでしょうか?もちろん、鉱物的価値のある物質がゴロゴロしていることと、生存圏となる星が見つかることとは別問題だと思います。しかし宇宙エレベーターを用いた宅配便のシステムを使えば、宇宙空間への定住も考えられるのではないでしょうか。まだまだ短い人類史ですが、地球を捨てる、という選択を人類が取った場合、あまりにも大きい空前絶後の出来事となるのではないでしょうか。( 2nd-year student N )

Jan. 16, 2018 
Lecture 15 Wrap-up + International Exchange ( B )

ビッグ・ヒストリー(の講義)を受けて、私たちがどういう存在なのか、そしてどこへ向かっていくのか、様々な作品とテーマに触れながら大事なものを学んだ気がします。特にビッグ・ヒストリーは歴史というイメージが強かったのですが、歴史だけでなく、生物や文学、社会と全てを統合して歴史という形で学んだことから、日本だけでなくこのビッグ・ヒストリーという授業が世界で行われている理由が分かりました。ビッグ・ヒストリーとは単に人間中心のものではないので、私たちが忘れかけている自然の大切さや、宇宙の広さを知ることができます。このように一つのテーマにとらわれず、様々な視点から作られていく授業は他にはないので、とてもいい授業を取れたと思っています。( 3rd-year student I )

ビッグ・ヒストリーの授業を受けて、一番好きなビッグ・ヒストリー的な考えは「視野を広げる」ということだ。この考え方を持つことによって、差別や偏見的な考え方が変わると思う。視野が狭いと自分の考え方や価値観にとらわれてしまう。だが、視野を広げることによって相手の考え方や価値観を知ることができる。そこから差別や偏見的な考え方がなくなると思う。また、差別や偏見的な考え方をしている人に対しても理解を持ってあげて、その考えをただ批判するのではなく、正してあげることも視野の広い人ができることだと思う。なので私は、視野を広げる方法として、様々な人々と出会い、関わり、色々な考え方や価値観を共有していきたいと思う。一学期間ありがとうございました。楽しかったです。( 1st-year student T )

この授業を全15回受けて色々な事を学びました。その1つとして挙げられるのが、今まで考えもしていなかった新たな視点、「宇宙的視点」を持てるようになったということです。宇宙や地球の起源から、人類やその他生命の誕生について学び考えることで、私達の生き方や在り方を考えることができました。惑星や人類の誕生など、難しくて理解が追いつかないところもありましたが、自分で分かる部分をかいつまんで理解していき、考えていくのもこの授業の楽しいところでもありました。またアニメの話や映像など、普通の授業ではまずないようなこともあり、しかもそこからちゃんとビッグ・ヒストリー的視点で考えることも斬新であり面白かったです。この授業をぜひ後輩にもすすめたいと思います。( 3rd-year student S )

学ぶことが多く、履修することができてラッキーだった。しかしこの授業は聞いているというだけでは、ついていける授業ではなかった。常に自分とは地球から見てどんな存在なのか、人間以外の生き物とのかかわりなど、自分がどう考えるのかという思考をするのがとても体力を使うことであった。思考することにこんなにも知識が必要なのかとショックを受けた。( 3rd-year student A )

この授業では「思考すること」を非常に楽しめた。私は「正解のない問題」について考えることの楽しさを、この授業を通じて認識することができた。様々な観点からビッグ・ヒストリーに触れ、宇宙の偉大さ、人類誕生の短さと宇宙誕生の長さを比べて、己の小ささを知ることができ、肩の力がまた一味違う形で抜けた。この講義から今後の人生に活かしていきたい学びや教訓として、「概念」を理解し扱えるようになること、「枠」の内と外を共に視野に入れることを大切にしたいと思う。他にもゲスト講師が豪華で実に楽しく有意義な時間であった。先生、ありがとうございました。( 4th-year student Y )

ビッグ・ヒストリーは「正解のない問題」という文を見て「めっちゃ国語じゃん」と思った。どうしても数学っぽい、理科だよと思ってしまう。だが地球が丸いのだから学問も丸いんだ、とちょっとズレた答えにたどりついた。文系ははじまで走ろうと文系だと思っていたが、文系がはじっこまで走ろうとしたら理系を通りまた文系に戻る。四角で区切られず丸でつながっている。リベラルアーツ特有の考え方なんだろうなと思った。(カメルーンの紙芝居コンペを観て)歌うという起源を知れた気がした。「光が生まれた。だから歌う」あぁそっか、人が歌うというのは人間の感情を表現と共に共有するということなのだと思った。( 2nd-year student A )

カメルーンの紙芝居について…私はアフリカに行ったことがないので、アフリカの学校の風景がとても新鮮でした。しかし、私の知らない世界で、私達と同じ話題を考え、話している子供や大人を見て、「これが世界交流か!」と少し感銘を受けました。「ビッグ・ヒストリーという世界共通の学問」という漠然とした概念が、「本当に世界をつなげ、平和へのかけ橋になるのではないか」という期待へと昇華しました。( 2nd-year student T )

紙芝居を見て気づいたのは、どれも単に「ビッグ・ヒストリー」の内容を使うだけではなく、カメルーンの歴史的背景や文化を通して表現していたことだった。ビッグ・ヒストリーの土台の上に実在する文化を乗せることによって、話の現実への対応を持たせることができている。作った人々の背景まで読み取ることも、巨視的視点を持つ、異なった立場の観点を持つことと対応しているのではないだろうか。こうした観点の転変ができるようになったことが、ビッグ・ヒストリーの授業で得た一番重要な技術だったと思う。( 2nd-year student F )

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