桜美林ビッグヒストリー・ムーブメント

2018年度 学生のコメント

HUMAN EXISTENCE
IN THE COSMOS

2018.09.18 
第1回 イントロダクション

今まで「自分は日本人」という意識はあっても、「自分は地球人で…」という意識はした事がなかったので、新鮮というか、ゾッとしたというか、何か穴が空いたような気持ちになりました。私は天文学(自然理解)[の講義]を受けたばかりなので、色々考えてしまいます。それと同時に、現在日本史概論をとっていて、人類の進化を学んでいます。元々人間は同じ種からきていて、“地球の一部”であったのに、現在は“地球の一部”という感じが、私はまったく感じません。むしろ、地球と、自然と、そういうものから“人類”だけ孤立している気がします。「今」私は、働くために、社会に役立つために生きていますが、今日の授業を受けて「本来は何をすべきなのか」を考えてしまいました。日本という小さな場所だけで小さな視点だけで見て人生を終えていいのか、とも考えました。日本史概論の授業で、「最高の文明は200年と続かないだろう」という事を教えられました。今、私たちはその「最高の文明」をとんでもなくムダにしている気がします。15回の授業の中で「何をすべきか」という事の答えが1つでも出ればいいなと思います。(4年 Y)

月から地球を見た写真[地球の出]を見て、一つの教室の一つのプロジェクターによって映し出された一枚の写真でしかないのに、大きく心を動かされた。地球の特異な美しさと広い無が続いた空間に取り残されている孤立感を感じた。広い空間であることには違いないのではあろうが、解放感と閉塞感を同時に感じた。不思議な感覚だった。宇宙のことを考えると意識が浮き上がり一瞬離れるように感じる。あまりに壮大なそれを目の前にすると、何故かやるせない気持ちになる。面白いことにわくわくもする。(2年 I)

生命も宇宙も人間も遠くから広い目で見れば同じ仕組みだと私は思う。≪誕生→増大(進化)→変異→終末≫ 命も宇宙も人間もまだ終末をむかえていないが、大まかな流れは同じことではないだろうか。これはただの想像であって、全く裏づけも根拠も無いが、もしかするとこの3つ[生命史、宇宙史、人間史]をそれぞれ100h表記で[100時間に圧縮し]今まで起きたことを並べたら同じ比率で動きが起きているのでは?この3分野だけでなく、全てのことに対してこの比率は当てはまるのでは?なんて考えてみたりしてます。(2年 S)

手書きの時系列 手書きの時系列

ビッグバンという大きな一つから始まり、細分化されていくことで複雑さを増していった物質や生命だが、ここ500年、地球上の文化や社会がつながり、互いに影響を持ち始め、地球上の問題という、ローカルな視点では解決されない問題が現れた今、BH[ビッグヒストリー]という壮大な人類史が必要だということにすごく納得ができた。(2年 ?)

ビッグヒストリーを知ることは、自分たちを知ることだと思った。ビッグヒストリーを知らないということは、自分たちが何があって今に至ったのかを知らないということだ。何も知らないで生きていくことはこわいことだと思う。…地球に最も近い月のことですらあまり知らない。直近のニュースだとゾゾタウンの前澤さんが月周回ツアーに参加するということがあった。もう月が手のとどく位置にきているという事実がある。遠いものだと思っていた宇宙が近くなっているというのは新しい開発であると思ったし、これもきっとビッグヒストリーがあって未来がビッグヒストリーとして繋がるものになると思っている。ビッグヒストリーはある意味自由な学問であると思っているので楽しみである。(2年 M)

私は元々素粒子物理に興味があり、個人的に色々と調べていた。しかし、ビッグヒストリーのような幅広い専門横断的観点という点で捉えたことがなかった。今までは、学問とは専門家が突き詰めるものであるという認識であったが、リベラルアーツを学群として学んでいると、「この学問について、こっちの専攻で学んだことを使えば」と感じることがあり、まさにその感覚が一つの形になったものに感じた。「科学者は全てを説明したいだけだ」と文系のある人が言っていたが、ゴーギャンの絵のタイトル[《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》]などからも分かるように、そこに文系・理系の垣根を持ち込まずに教えることで、違う捉え方が生まれるのではと思った。(3年 S)

2018.09.25 
第2回 ビッグバン 宇宙の始まり

私は中学生の頃、きれいな挿絵が使ってある元素周期表をながめるのが大好きだった。美しい宝石、鉱物が並ぶ中で私が最も美しいと思っていたのが「C」炭素だった。挿絵がダイヤモンドであった事も影響していたのだろうが、何より魅力的だったのは全ての生物が炭素から構成されているという点であった。つまり炭素は全ての生物の中にあって、例えば私の中にもペットで飼っていたハムスターの中にもとなりに座っている同級生の中にも存在しているのだと思うと、なぜかわくわくした事を覚えている。「人間は、星と同じ材料でつくられているのである。」今日の授業のこの言葉ではっとした。確かにそうだ。中学生の頃の私は「全ての生物の中に存在する物質」に感動したが、地球にも、その他の数ある星の中にも炭素は存在するわけで、それはつまり、私たちと星の中には同じものがあるのだ。ものすごくわくわくした。中学生の頃の気持ちと感動が再現されたようだった。(1年 A)

私は心理学を専攻しているので、リベラルアーツ的に考える時は、心理学の知識につながってしまう。「最初の星を作るのに必要なもの」にあげられた「宇宙のゆらぎ」と「暗黒物質」に近いものを心理学からあげると、「心拍のゆらぎ」と「心」だと考えられる。「心拍のゆらぎ」は、その名の通り、心拍のリズムが一定でないということだ。このリズムを解析することで、精神状態などがわかるというものだが、心拍のリズムが一定になると数日程で亡くなるという事実がある。このような点も「ズレが必要」という類似点だと感じた。「暗黒物質」を「心」としたのは、「目には見えないが力を及ぼす」という点に共通点を感じたからだ。(3年 S)

自分は物理学概論でラプラスの悪魔という考え方を知った。これは、全ての分子の動きを知ることができれば未来が分かるというもので、未来はすでに確定しているという考え方である。現に天気予報はかなり精度が高くなっている。これは、今までのかなりの数のデータがあるために予測できている。しかし、完璧ではない。物理学にはまだ矛盾が存在し、さらに全ての分子が何であるか分かっていないからである。アニメの「サイコパス」でも、多くの人間の脳を集め、犯罪係数を測っていたが、完璧ではなかった。つまり、今の人類がどれほど過去を知ろうとも、未来は分からないのである。これは素晴らしいことであると思う。未来がわからないということは、希望を持つことができるからである。ビッグヒストリーを学ぶことで人類や地球、宇宙の未来をより具体的に希望を持って予測できるようになるものだと思う。(2年 K)

LA[リベラルアーツ学群]では広い分野で様々なことを学べます。文学的なものから力学的なものまで、文理を問わず学べます。それらの多種多様な知識を扱う上で、ビッグヒストリーは思考の作業場を照らすランプになると思いました。何故なら、ビッグヒストリーに接触することで、コズミック・ビューを手に入れ、全ての事象に対して、宇宙的視点から考察することが可能となります。今はまだホモ・サピエンスの思考で様々な知識の処理作業を行っていますが、コズミックな思考で処理作業をすれば、暗闇に隠れていた知識の処理が可能になると、強く思います。人間の未来を見る思考は、宇宙と案外似ていると感じました。何故なら、宇宙は遠くを見れば見るほど過去が見える。人間も、自身の遠く=未来を考える時、過去の経験を見て先のことを考えます。何か違うように思えて、本質は案外似ているのだなと思いました。人間を超越したコズミック・ビューへと導いてくれるビッグヒストリーは、私の心をイグニッションしました。(2年 I)

2018.10.02 
第3回 太陽系と地球の形成

生命体のこととなると、地球は奇跡的に条件が整っていると多々言われる。しかし、それは私たちが基準であって、例外を考えていないように思える。私たちには、H2OとC、水と炭素が肉体の構成や生命活動の維持に必要不可欠である。しかし、この広い宇宙の中には、そんな私たちの常識の通じない生命体もあるのではないかと思う。私たちを作る炭素の代わりを原子の「金」が、水の代わりを「アンモニア」が果たしている。そんな生命体もありそうだなと高校の時からたまに思う。(2年 A)

ハビタブルプラネットを地球以外で探そうという動きがみられるそうですが、見つかったときの移住計画を聞いていると、ここまで住み慣れた星を捨てるのかという問題について考えているのでしょうか。福島の原発の影響で故郷に戻れない人々は現実にいるのです。人工物以外、草木が成長し、変わり果てた故郷を見て、人工物だけが変わらずあることを目の当たりにしたら、私は何かとてつもなく空虚な気持ちになるのだろうと思っています。故郷を手放すのは考えたくありません。そこで過ごした日々が離れたと同時に時間と共に消えていく、どうしようもないことだけれども、私は手放したくないと考えています。(4年 S)

2018.10.09 
第4回 生命の出現

生物や生命の定義には「遺伝子」が必要不可欠だと思う。現在私たちが考える生物、生命の核心的なものは遺伝子の存在ではないだろうか。少なくとも見るからに生物だと判断できるほどの生物は必ずと言っていいほど遺伝子を持っている。そこで、今回AIが生命の定義に入ることがあるかもしれないという話が出ていたが、私的にはそれはありえないと考える。私たち人間の知識知能を投入して出来た存在、つまり人間のコピーであって、作り出す生みの親はAIではなく人間だからである。AIは道具であり生命体ではないと私は考えている。(1年 N)

生命の起源がわかってしまえば、人工的に子供が作れたりもするようになってしまうということですよね。これは私の考えですが、生命の起源は、解明されない方がいいのではないかと思っています。理由は、もし分かって、大量に人間が作られたり、動物などのペットが作られたりすれば、人類は今以上に命を軽んじたものに考えそうだからです。可愛いからといって簡単に買う。難しくなってという理由で捨てる。もしかしたら私たちは知ってはいけないものを知ろうとしていうのかもしれないですね。でもそれを何か医療目的だとかに利用できれば、それはそれで良いのかもしれません。(4年 Y)

聖書には、天地創造がまるで一瞬の出来事のように書かれている。しかし人間、生物、そして惑星までも一定の成長期間が設けられ、最初から完成しているものは何1つない。神学を学んでいる身としては、なぜ神は全知全能で何でもお出来になるにも関わらず、最初から完成品を創らずに、このようなプロセスを経るようにされたか疑問に思った。(3年 F)

生命が生まれる構造が分かれば神は否定できる、というのは確かだと思う。人が神の被造物だというのは、生命のブラックボックスを神に託しているに過ぎないと言える。古代ギリシャの演劇手法の一つに「デウス・エクス・マキナ」というのがある。劇のシナリオが人の手に負えない展開になると、神が登場していい感じの流れを作ってくれるというものだ。今読んでも色あせないギリシャ悲劇だが、こと神頼みに限っては、今も昔もやっていることは変わらない。だからこそ、シナリオの価値が変わらないとも言える。しかし、神が否定された時代が来たら、このような価値、見方が変化する時が来るのではないだろうか。神という存在はロマンにあふれていて私は好きなのだが、理系学問が神を殺す瞬間がくるのなら、それはそれで見てみたい。(2年 Y)

『シドニアの騎士』というアニメで、岩盤と一体化した宇宙船ですむ人類の生き残りが、食べ物を必要としないで光合成によってエネルギーを作っているという設定になっていた。もし、宇宙という何もない場所で人が生活しなければならなくなった時、人類が光合成で体内でエネルギーを作り出すような進化があると思いますか?(1年 I)

2018.10.16 
第5回 生命進化の歴史(1)

この授業を受講していると、「普通」とは何なのかと考えることが多いです。今日の授業で手のひらより大きい巨大トンボの話を聞いて、「大きい、気持ち悪い」と感じましたが、その時代ではそのサイズが当たり前であって、逆にその時代のトンボからしたら、今のトンボは極小であって、また、宇宙人がいるとしたら、私は宇宙人を怖い・地球が侵略されるなんて思っていますが、宇宙人も私達に対して同じことを思っているのかも…と、今までは全て自分中心に考えていた物事を、多角的な面から想像するようになった気がします…(ほとんど妄想になってしまうかもしれませんが…)(4年Mさん)

「古生物の科学」という授業で古代の生物について学んだ。その授業内で、アノマロカリスは当時の食物連鎖の頂点であったと聴いた覚えがある。しかし、アノマロカリスは絶滅し、弱々しいピカイアが生き残った。なぜアノマロカリスが絶滅したのか。それは、地球の環境変化に対応できなかったからだろう。つまり、地球は自分の中で生きるべき生物を選んでいるのであると考えられる。今では人間が様々な生物を絶滅に追い込んでいるが、人類もまた地球によって滅ぼされる可能性のある生物なのである。こう考えると地球は人間の上位の存在であり、生命の神秘を持つ地球は、人間でいう「神」にあたるのではないかと思う。(2年K君)

人間は多細胞生物になり細胞が心臓や胃などの器官を作り、私達は生物として生きることができる。しかし植物は人間のような器官はないし、植物の体の一部がなくなってしまっても生きられるし、植物は自分で動かなくても養分を作り出すことができ、生きることができる。人間は一つの器官がなくなると生きられないし、自ら養分を作り出すこともできない。人間は地球上で一番だと思っていたけれど、植物の方がもしかしたら人間より上かもしれない。(1年Aさん)

我々人間の祖先は神ではなく、ミドリムシから進化してきたと本で読んだことがあります。ミドリムシがあらゆる植物や生物に進化し、今の地球の環境ができるまでにお互いに共成し、構成されてきた、だから、もともと人間の由来は植物や生物、動物にあると書かれていました。こういったことが証明されているにも関わらず、神を信仰している人達は変わっていると思います。科学の根底には神がつくったものを読み解くことから始まったと聞き、ものすごく宗教チックだなと思いました。昔の人達が信仰するのはまだ理解できますが、何故現代人が信仰するのかは理解できません。世界史概論の授業でも、神とは人間が生み出した産物だと言っていました。(1年Sさん)

2018.10.23 
第6回 特別講義(1)

2018.10.30 
第7回 生命進化の歴史(2)

生物の進化は実に多様で、環境に適応できるように合理化されている。興味深いのは、人間の進化と他の動物との進化には、その方法として本質的に差があるという点だ。基本的に生物は環境に適応するために進化すると思うが、人間は寧ろ環境を変化できるように進化した。人間は、動物として強みとなる身体的特長を身に付ける代わりに、知性を発達させ、地球上ほとんどどこでも生存可能な場なら繁殖し、その環境を自らに心地良いものとして作り変える。進化という面で見ても、人間に独自性が見てとれると感じた。(2年T君)

上野の国立科学博物館で、アゴから大きな角か牙らしきものが生えた恐竜の骨格標本を見た。見た目で言えば完全にモンハンかゴッドイーターの世界観で、これがとにかくカッコいい。しかし、これは明らかに進化の失敗にあたりそうな例だ。アゴから生えた牙は下方への攻撃には便利だろうが、食事には使えないし、動き方次第では自分の体を刺しかねない。地球史、宇宙史という大きな視点を持つと、代表的な進化の結果を見て、歴史の流れを見ていくことが多い気がする。前述の失敗例(ティラノサウルスのような種を成功例と見た場合)のような存在もふまえて見ると、進化というのは膨大な時間をかけた細やかな実験の繰り返しだったんだと考えられる。宇宙・地球による生物実験だ。そう考えると、人間の進化・実験スピードが、際立って異常なものに思えてくる。(2年Y君)

人間中心主義の話を聞いて…現代の人間は物事や他の動物を擬人化しないと身近に考えられないと長らく感じていた。例えば、ペットに服を着せる行為だ。人間と同じような生活をさせ、扱うことで感情移入し理解したような気になっている。だがそれはその生物を無理やり人間の尺度に合わせて見ているだけで、そのものを見ていないように思われる。人間が他の生物より優れているというのは、人間の目線で都合よく比較しているにすぎないのだ。人間は地球の一部であることをより自覚し、他生物を良い意味で人間と区別し尊重することが大切だ。(4年Sさん)

もし恐竜が絶滅していなかったら、今地球はどうなっているのだろうと考えてしまう。恐竜が絶滅しなかったら、哺乳類は大型化もできなかったでしょう。また霊長類の進化もなかったでしょう。従ってヒトも誕生できずに、哺乳類は恐竜のえさになっていたと思います。そして、この星の生物の遺伝子としては知的な種を生むと思われるので、恐竜の子孫が知的生命の種となっていたかもしれない。絶滅した時代、たまたま彼らには不利な環境があったと思われる。いずれにせよ彼らはいつか滅びたでしょうが、あのタイミングでなければ哺乳類の台頭は遅れ、人類の今もなかった。(2年Mさん)

恐竜は多様に変化する多様性があるが、それを異質だとは見ない。しかしヒトはこれがヒトであるという基準ができているからか、それに反したものを差別し排除対象とする。ヒトは、理解しえないものは「病名」などをつけて差別する。この傾向がなくなればもっと生きやすい世の中になる気がする。(1年Oさん)

2018.11.06 
第8回 人類の出現

脳についての話があり、気になることがあった。脳が複数あってはいけないのか。よく脳とパソコンとCPUなどが似ていると例えられるが、パソコンにはレイドという構築がある。データを管理する上で、重要なデータは同じものを2つ持つということは常識である。どちらか片方が消えてももう片方が使えるし、コピーしてまた2つにすることができる。処理も、2つに分けてより高速化できる。頭が大きいと出産に困るので、頭とお腹の当りと、ふくらはぎにでも分散させたら良いと思う。今現在では複数の脳を持つ生物はいないらしいが、いつかの未来には確実に存在していると思う。(4年I君)

脳が大型化することによってヒトは未熟な状態で産まれてくることになったわけだが、これには人間の社会性において大きな意味を持つように思える。他の生物が胎内で過ごす一年間を、人間は外に出て社会に触れながら過ごす。こういう所に、人間が社会と切っても切れない関係にある一要因があるのではないか。つまり人間は産まれた時から、社会的動物として生きているのではないか。(2年T君)

人類による技術革命には“火の使用”があると言っていたが、人類は道具と火によって絶大な「生産力」を得たが、同時に「破壊力」を獲得し、これらが自然環境に向けられることとなった。火は、たき火により他の動物から身を守るためだけでなく、寒い地域での生活を可能にした。また、野や森を焼き払い、そこで生活している動物を追い立て、あるいは焼き殺すことは、動物にとっては脅威であっただろう。火は極めて大きな破壊力を持っており、これを手にした人間は、自然にその力が向けられた時、大きな自然破壊となった。この火の使用によって人間は初めて「破壊力」を手にしたのだろうと考える。(2年Mさん)

2018.11.13 
第9回 農業の起源

先日、GOMAというディジュリドゥ奏者の個展をみてきた。彼は事故の後遺症で「高次脳機能障害」を発症し、記憶が長く持たなくなったのだが、同時に「サヴァン症候群」を発症し、突然点描画を描くようになった。「サヴァン症候群」とは、障害を持つ者が、特定の分野に限り優れた能力を発揮する症候群である。GOMAは左脳を損傷したことにより、それを補うように右脳が発達したのだそうだ。興味深かったのが、「とてつもない衝動に駆られ絵を描かずにはいられなくなる」と言っていたことだ。彼は「光」を描いている。意識を失い、そこから目覚める直前の光を描いているのだそうだ。これを聞いて思ったのは、彼らは人間の本来の姿、本能、抽象的な神を感じることができるのではないか、ということだ。人間には皆、原始の感覚が残っていて、奥に隠されているだけなのだと感じる。私たちが今ふれている音楽や絵画は、この祖先の感覚の上につくられているのだ。人体の神秘と不思議を感じた。(4年Sさん)

家畜の話の中で犬は最初の家畜だったという話があったが、この夏に不思議な出来事があった。夏休みにゼミ合宿に行った時の話だ。外で食事を済ませ、先生の車で宿に戻るとき、道の真ん中で細道を見ている犬がいた。このままだと轢いてしまうため、少しよけて横を通ると、犬の見ている先でおばあさんが倒れていた。幸い意識もあり、切り傷だけであったが救急車を呼び、おばあさんと少し話をしていた。そこで、道路にいた犬は飼い犬か聞いたが、そうではなく、ただの野良犬だという話だった。その時に、犬も人を想うことがあるのかもなと感じた。(3年S君)

「人間が様々な種の遺伝的形質に手を加え、より従順で生産性が高く、管理しやすいように変えていく」を人間が飼育するペットに置きかえてみると、例えばマンチカンという種の猫がいる。マンチカンはとても性格がおだやかで、何より愛くるしい容姿(猫版ダックスフントみたいな)から爆発的な猫ブームを起こした猫である。しかし、マンチカンはほとんどが短命である。これは、人間が遺伝的形質を操作したからである。「人間と動植物の共生関係:動物も外敵からの保護・繁殖の手助けなどで恩恵を受けている」という先生の文はあまり適切ではないと思った。農耕の文明が始まった時から、人間はとても残酷であると思った。(2年Oさん)

2018.11.20 
第10回 特別講義(2)森の民プナンから考えるビッグヒストリー

私たちが日頃から使用している言語には、物体、その場に実際にあり、触れる事のできる物、存在の言語だけでなく、非実在の事に対しても言葉が存在している。しかしプナンには、実在している物事に対しての言葉はあるが、非実在の物事の言葉が乏しいと感じた。私が思うには、種としては人間であるが野生に身を置き続けた結果として、基本的思考が日々を生きるために生きる、野生としての本能に思考を固めているがゆえだと思えた。野生の動物に対して感謝や謝罪を求めても、彼らからしたら生きる事においてふようなことだから言葉として存在しないし、感じたりもしない。また、現代において森で生きてきたがゆえ、時代に取り残された人類なのだと思えた。(4年T君)

個人所有を認める社会においては、人間は自分の力だけを頼りに生きて行かなければならない。個人所有を認めることは、そうした側面をもっている。自然の中に生きるプナン族にとって個人所有が悪なのは、自然が不確定でコントロールできないからだろう。こうした状況で生きることは、自分の力だけでは為しえない。自然と人間がつながって生きるということは、必然的に他力に頼ることを要請する。それは、人間が人間に頼ることだけではなく、人間がコントロールできない自然に頼るという状況から生み出されているのではないだろうか。こうした考え方は日本にも存在していたが、自然と人間を切り離す傾向が強まることで消失してしまった。そうした考え方をもう一度取り戻すことが、現代の行き過ぎた個人主義に対する解決になるかもしれない。(2年T君)

授業中盤で出た「反省しない」という内容の所では、一見「とてもムカツクし、やるせない」と思った。だが、反省することは、狩猟採集社会ではなく、農耕社会から育った現代に至るまでの中で培われた「当たり前」なのではないかと思った。狩猟社会は私が思うに「その日暮らし」、生きるために一日一日を狩りに注ぎ、生きて行くには凹んでいる暇はない!!前向きに行こう!!みたいな感じがする。一方で農業社会は、一年をかけて農作物を作るために、試行錯誤し、考えていく余地がある故に反省していくイメージがある。農耕社会が始まって以来、数千年がたって現代があることも、いわば農業が生み出した「反省」というものの恵みではないかと思った。また、狩猟を中心とするか、農耕を中心とするかで、人の暮らしや人の考えも大きく変わるものだと思う。感謝や反省もそうだが、より根本的な喜びや、怒りなど、感情の捉え方も異なってくるのではないかと思った。(1年O君)

2018.11.27 
第11回 近代化

インターネットは軍での情報共有化及び監視網の為、GPSは軍事作戦においての戦術的行動の為、ルンバは地雷除去用ロボットとして、ゲーム機のコントローラーは無人攻撃機の操縦の為に生まれた。また逆に、トンネル工事の為に作られたダイナマイトも軍事利用された。何が言いたいのかというと、現代の文明は軍事技術の発達によって生まれたという事である。逆に民間用に開発された介護用のパワードスーツも、アメリカ陸軍を始めとした各国の軍事大国が兵士の負担を減らす為の「エクソスケルトン」として開発及び改良が進んでいる。更には「プレデター」や「攻殻機動隊」であるような光学迷彩技術も研究され、完成に近付いているそうだ。その他にも、火薬を使わないレールガン(電磁投射砲)も研究が進み、イギリスのBAEシステムズが試作型のレールガン「ブリッツァー」を開発している。更にはレーザー兵器も既に開発されており、目つぶし用のレーザー銃や艦載用の高出力レーザー兵器が無人機の標的機を撃墜している。無人攻撃機もオペレーターの操縦なしで、事前に飛行コースと攻撃目標のデータを入力しておけば、自動的に攻撃して基地(または空母)に戻って乗ることが出来るというものも開発された。地球文明は「如何にして人を効率的に殺すか」という考えの下に生まれて来たのだろう、と思った。(1年I君)

この講義冒頭で片山教授が話されていた言語について。高校の頃、この言語の話について知った。その時は、第二次世界大戦以後、GHQに日本が統治された際に、日本語という言語を無くし、共通語を英語にすれば良かったのにと思っていた。それは、もし共通語が英語であったならば、我々の世代になった時も受験で勉強する必要もないし、より多くの世界中の人々と会話をして、コミュニケーションを取れると思っていた。しかし、大学に入り様々なことを学ぶにつれ、私は日本語でよかったと思った。それは、何千年もの時間をかけて創り上げられた日本語の重要性、多くの言語が存在することでよりバリエーションが増えコミュニケーションが楽しめると実感できたからだ。(2年I君)

熱力学第二法則であるエントロピー増大の法則は、本当に宇宙全体にも適合されるのでしょうか。私は厳しいと思います。何故なら、宇宙を「閉鎖系とみなす」のは、時代遅れだと感じてしまうからです。エントロピー増大の法則は「閉鎖系である」ということが前提であり、開放系ではエントロピーが減少することもある。秩序が無秩序になるこの法則は、宇宙でも当てはまるという。宇宙は閉鎖系なのでしょうか。私は、未だ知らない宇宙の真実は全人類の理論や思考を破壊すると考えているため、閉鎖系ではないと思います。異空間へと繋がるワープホールがあったとしたら。宇宙は生きており、生命を維持していると考えたとしたら。宇宙全体とエントロピーのリレーションシップはチェンジするでしょう。平安時代の人たちは「車」や「ハンバーガー」があると思う余地が脳にあったでしょうか。私たちは未来のことを、まだほんの一部も知り得ていないのかも知れません。それなのに、無限大の可能性を貯蓄している「宇宙」という生命体に、「法則で決まっている」などと決めつけるのは、何かと急ぎすぎだし、コズミックビューが狭いと思います。(2年I君)

2018.12.04 
第12回 アントロポセンの時代

つい先日も、中国の研究チームが遺伝子を人工的に組み替えた双子の赤ちゃんを誕生させたとして、世界中から批判されていた。人間の技術の進歩により、遺伝子を自由にすることなど容易なのであろう。しかし、タブーとされているのは倫理的な問題があるからだ。つい最近でもSNS上で、遺伝子を組み替え自分好みの顔の子供を産む、という記事がおもしろおかしく書かれていた。実現することはないと思うが、私が思ったのは、記事がおもしろおかしく書かれていたこと(自分好みのイケメンorかわいい赤ちゃんにしよう!的な)と、それに対する世論の賛同する声だ。とても恐ろしいと思った。たとえ自分の子供であっても、おもちゃではない。自分の好きな顔にするなどとんでもない話ではないか。私たち人間は、何万年もの時間をかけてできた生命体である。その域に人間の技術を踏み入れることは許されない。私はそう思っている。(4年Iさん)

人工知能の発達は著しく、「シンギュラリティは近い」とされている。Siriやりんななどのユーザの入力した言葉を自動で返答し、あたかも中の人がいるのではないかという精度の会話が行えるものが話題となった。これを初めて聞いた時、会話こそ人間の象徴的な営みであると考えていたので衝撃を強く感じた。そして人間だけが生み出せるものはもう芸術作品のみではないかと思った。ところがその役割すらも失おうとしている。自動で歌詞・メロディを作成するものや、ゴッホの絵の特色を分析してAIが新たに描写するということも成功している。人間の価値とは。(2年I君)

シンギュラリティ以後のシナリオに、全人口の1割しか働かない(働けない)世界とある。そのような世界が訪れた時、私達人間の生活はどうなっているのだろうか。長時間労働が嘆かれる日本においては、より友人や家族と過ごす時間が増え、今よりも幸せを感じる世界になることを期待する。私たちは人格の向上に努めなければならない。今まで様々な革新的な発明発見が軍事に利用され人類を不幸にさせてきた。シンギュラリティもそうである。人類の知性を超えたAIを生み出す、利用するのは私たち人間だ。人間に備えられた知的好奇心の結果を人類全体の幸福の為に使わなければならない。私たちは過去を知っている。歴史を繰り返してはならない。高度な技術を正しく使えるかどうかは、人間の人格にかかっている。技術力向上よりも人格向上を優先せねば、元も子もない結果になってしまうと考える。(3年F君)

人間の文明は日々進化している。今では核や原子力も兵器として使用するまでに至っている。そのため人の文明や人間自身も個々の能力が進化している。このまま行くと、これからの未来も必然的に進化していくと思う。私の予想では、旅行で宇宙に行くことも出来るしコロニーとかも出来ることがあると思う。カミーユビダン・シャア・アズナブルは言った。人は宇宙にあり、地球にとらわれていると人は進化しない。重力にとらわれていると人は弱くなり、ニュータイプにはなれないと。そのため私達は一刻も早く宇宙に飛び立たなければならない。そしてまだ見ぬ世界を見に行かなくてならない。そのため私達は技術を向上させていく必要がある。(1年O君)

「発展」という言葉が怖い言葉に聞こえてきました。人々は何かを便利にしようと様々なことを考え今の世界を使ってきました。今後もAIなどの発展によってさらに便利になることも増えてくるでしょう。しかし、その発展によって別の問題(プラごみ、核兵器など)も今の世界にあります。人々はこのような問題をなくそうとまた何かを発展させようとして、また問題が増える…結局、何かを「発展」させると、何かの「破壊」「退化」につながるのです。「何もしない」「発展させない」「妥協する」ことも、今の世界の「発展」になるのではないでしょうか。(1年N君)

人類の産業は年ごとに進化している。進化したからこそ、暮らしは楽になり、豊かになっていくが、進化するごとに、人類は「生きもの」を生きているものと思う心がなくなっていく気がした。友人は犬を飼っているため、犬がいじめられている動画をみて、涙目で「かわいそう」と言った。けれど、その数分後、食べていた鶏肉をおなかがいっぱいになったという理由で捨てた。私はその光景を見た時にとてもこわくなった。私も動物を飼っているが、食べているものもペットも、生きていることにはかわりないと思っている。友人にとって、食べているものはあくまで「もの」でしかないのだと私は感じた。命に感謝している人はどれだけいるのだろう。(4年Yさん)

2018.12.11 
第13回 地球外生命

AIが人間にしかできなかったことをできるようになってきたことから、人間の優位性が崩れ、人間中心的な考えが成り立たなくなる未来が示されている。これは、宇宙人の場合についても言えるだろう。人間という単一の存在を知的生命として考えていれば良かった時代は、こうしたAI、宇宙人の存在が現れれば、たちまち考え方を変える必要に迫られる。人間は相対化され、もっと広く、大きな視点から考え、捉え直されるだろう。宇宙人よりも現実的なAIを知的生命として扱うかという問題は、人間存在を今一度考え直す契機だ。これは、今まで知的生命の唯一性に甘え、人間中心的な思考が巻き起こしてきた様々な問題(自然破壊や工場畜産など)を今までとは違う、地球の中の、宇宙の中の人類として考えなければいけないことを示しているのではないか。(2年T君)

神は宇宙人を創造されたのだろうか。聖書を読む限り宇宙人に関する記述は見られない。もし、人間のように考える知性をもった宇宙人がいるとしても、人間とは決定的な違いが存在すると考える。それは霊性の有無ではないか。私は死後の世界があると思っているが、宇宙人には霊魂のようなものが存在しない。つまり、肉体が滅びればその存在は完全に消滅する。神を人間を特別に創られた。その人間と宇宙人との決定的な違いは、死後、神とともに生き続けるかどうかではないか。(3年F君)

地球外生命体は地球と同じような星にいるだろうと考えられている。水から誕生した生物が地球の生物であるなら、他の星にも水があれば生命は生まれていると考えられる。しかし、水がない星には生命は存在しないのだろうか。この考え方は非常に地球中心主義的で、地球と同じような星でなければ生命はいないというせまい考え方である。太陽系の星には生命は地球にしかないが、他の銀河では地球とはかけはなれている星にも生命体はいるかもしれない。その生命体は、我々の考える生命体とはかけ離れているが、自律的に行動し、感情も持っているかもしれない。逆に宇宙人からすれば人間とAI、ロボットも同じ生命体ととらえ、さらにはAIやロボットを「生きている」ととらえ人間が「生きていない」ただのモノであるととらえるかもしれない。トランスフォーマーは機械の宇宙人である。(2年K君)

宇宙人との戦いは、SFアクション映画の定番だ。数学は宇宙語と聞いて思うのは、戦いもまた宇宙語ならぬ宇宙ボディランゲージなのではないか。人間の歴史は戦争と共にあったわけだが、SF映画のこともふまえると、知性の行き着く先の一つとして闘争があると言える。戦いによった意思表示といえば「お前たちを排除する」くらいのものだろうが、敵対意思を互いに持って刃を向け合えば、それもまたコミュニケーションだと私は考える。「闘争」という概念を知らない宇宙人が現れれば、この悲しい発想も否定できそうだ。(2年Y君)

2018.12.18 
第14回 特別講義(3)未来の神話の描き方

神話は過去のものという意識は、科学の発展からきたものと言われています。しかし、科学が「見えない世界」がないとも証明できていないのに神話は過去のものだと認識してしまっている自分がいることに気づきました。小松さんの描いている世界は幻想文学だと思いました。小泉八雲は100年前に生きた人ですが、偉大な芸術作品には霊的なものが宿っていると考えていました。小松さんの考え方は、八雲が感じていたことにリンクしています。八雲は古事記から日本に興味を持ち、自身のゴースト体験も踏まえて文学を描いている。小松さんも八雲のようにゴースト体験をしているというのはうらやましく思えた。私たちは現代において、いくら「見えない世界」を信じないと言っていても、妖怪文化に魅力を感じる。これは私たちがゴーストを求めているということだ。(4年Sさん)

小松美羽さんのお話は大変興味深いものであった。印象的だったのが、「この絵は自分が描いたのではない」と言っていたことだ。自身が感じとったエネルギーを発散しているだけで、目に見えないものたちの媒体でしかない。深く、まだ肉体のないもの、エネルギー、ソフトの存在を感じとれはしないが、ぼんやりと、抽象的なものたちはいるのだろうなあ、と感じた。見た目や肉体にとらわれ、見えやすいものだけを見ていては、抽象的な人間の祈りであったり、エネルギーであったり、思いであったりは、感じとることはできないのだろう。自分が見たことのない世界を意識するきっかけになった。(4年Sさん)

絵を介して視認の難しいエネルギーや魂を多くの現代人、さらに何万年後の世界に生きる未来人たちに伝えたい。そこから色々な方向に考えてもらいたいといった強い気持ちが感じられた。今回の特別講義全体を通じて、小松さんも仰っていたように、自分の足を使って実際に赴き、自分の目で見て感じ思考していきたいと思った。万物のつながりやそれらの時の流れにおけるつながりを大事にしていきたい。あわよくば、そうしたことで気付いたことを何かしらの方法で表現し、伝えていく「媒体」の一つになりたい。(2年I君)

皆が自分自身を客観視して、自分のエネルギー、負のエネルギーに気づき純粋になっていくべきことを理解しなければならないのだと言われていたが、もし世界中がその境地であれば平和な世の中になるのかもしれない。しかし、人間はそれぞれの正義や価値観で生きているのであって、その個人にとってはそれが最も正しい事であって、「純粋」だと思う。小松さんのおっしゃった純粋とは異なるが。ただ私は、皆同じ意見、境地になった人間など、人間ではないと思う。そういう意味で私はあまり宗教を信仰したくないのであって、共感はできなかったが、すごく貴重な機会であったし、とても考えること、学ぶことが多かった。(1年Aさん)

2019.01.15 
第15回 まとめ

ビッグヒストリーを受講し終えて考えさせられることは多々あったが、一番大きかったことは、考え方の枠組みそのものに対しての影響である。宇宙規模で思考するというというビッグヒストリーの鉄則には初めこそ面食らったが、これから先人類が同じ地球人としてまとまり、何かを成そうとする時(その行為が全人類に影響を与える場合特に)、この広すぎるくらいの視野が必要なのだと感じた。私はこれから本格的にメジャー(専攻科目)を学ぶが、これが、あまりにも広いビッグヒストリーを見る上での基準のようなものになれば良いなと思う。どんな学問をしていくにしても、ビッグヒストリーが投げかける問いを無視していくことはできないだろうから。(2年T君)

桜美林大学の学びで、使ったことのない頭の場所を酷使しているように感じる授業だった。人は多角的視点を持つことができるということを実感するとともに、リベラルアーツという学びについて、あらためて考えるきっかけとなった。正直、この授業は、3年の段階で学んでおきたかったと思う。就活に活かすことのできる、実践的、実用的な授業であったと感じた。実際に世界で活躍している大人(自分を未完成な大人として)たちが、どのように世界を見ているのか、自分のためになるヒントが非常に面白く、楽しみながら学習することができる授業でもあった。学習は楽しむことができる、ということを知ることにもつながった。(4年Kさん)

ついにビッグヒストリーの授業も今回が最後となった。初めは「ビッグヒストリーって何だろう」という疑問から入り、この授業を履修することに決めた。実際に授業が始まると、小・中学校の国語・算数・理科・社会そんな主だった教科を全て混ぜ合わせ、より深く掘り下げたような内容でびっくりしたことを覚えている。自分の知識と理解力が追いつかず、度々よく意味のわからないものやどういう解釈なのか理解しづらいことがあった。しかし、その度に自分なりにインプットしようと考え、自分の意見を見つけることができた。また他者の良い意見を、毎授業の冒頭で取り入れることもできたため、より自分の考えを広げることができた。これからもLA(リベラルアーツ)的観点で物事を見つめ、自分の考えを深めていきたいと思う。(1年Sさん)

ビッグヒストリーを履修登録した時は、「宇宙の歴史、恐竜を学べるし、先生とアニメの世代が合って、楽しそう」くらいの気持ちでした…。すみません…。しかし、実際に講義が始まると、宮脇先生の理系的な解説と、片山先生の文系的な見解がフュージョンしてとても面白い内容でした。「ビッグヒストリー的視点」、「リベラルアーツ的な学び」というものを、自分の中で確立できましたし、今もそういった考えを持って、生活するように心がけています。非常にためになる楽しい授業でした。ありがとうございました。(4年I君)

この授業を経て、我々人間は莫大な情報の世界で生きているのだと思った。授業の内容は毎回ワクワクするもので、知っていることもあれば知らないこともあり、知識を深めることが出来た。ただ、毎度出るリアクションペーパーを埋めるのは大変だった。特に、4,3,2年生の上級生に負けず、「Bestコメントに載りたい!」と思い、色々な事を考えて授業を受けリアクションペーパーを書いていたが、とうとうBestコメントはとれなかった。4、3、2年の知識と発想は偉大だと思った。我々学生は好成績をとることが目的だが、授業で先生が言う通り大学は学びの場である。そのため、私は何とかこの授業から多くのことを学ぼうと努力した(つもりだ)。そして、この授業で得た様々な視野で学んでいく力で、この4年間で真のリベラルアーツ学生になりたい。この秋学期に基礎的なリベラルアーツの視点を手に入れられてとても良かった。春からの2年生春学期も努力して学んでいきたい。(1年O君)

ビッグヒストリーの講義を経て、私のリアクションペーパーの書き方が少し変わった。授業内容に即して思考し、それをアウトプットするわけだが、少し別の視点から内容にアプローチしたアウトプットをしてもいいのだと知ることができた。現に、自分なりのアプローチを出来た時は、よく先生に取り上げられていた。宇宙的な視点で世界を見つめることを教えてもらうと共に、自分の視点が持つ力も教えてもらった講義だった。(2年Y君)

ビッグヒストリーのような授業を今まで受けたことがなかったので、本授業を受けて今までの価値観が少し変わったような気がしました。宇宙からの視点というのを今まで持ったことがなかったので、いろいろと気付かされました。特に、宇宙の体感時間(人間が生まれて20秒とか)を見て、まだまだ人間が生まれてから全然歴史は浅いのだなと思った。そして、「当たり前」ということについても本授業を通して深く考えるようになった。奥野先生が話して下さったある部族の話を聞いて、今まで自分が持っていた概念が壊されたように感じました。正直、最初の方で宇宙の話がありましたが、科学といった理系分野が苦手な私にとってよく分かりませんでした。ですが、授業が進むにつれて(現在に近づくにつれて)宇宙から見る視点の重要さをひしひしと感じて、宇宙の細かいことは分かりませんがモノの見方について納得する部分が多かったです。本授業では今後生きて行く上で大事なものを教わった気がしました。(3年Aさん)

今期このビッグヒストリーを学んで、自分の中の引き出しを増やすことができた。現代アーティストの小松美羽さんの特別講義など、自分とは別の世界で輝いている方の貴重な話を聞くことができたり、非常に有意義なものであった。自分のメジャーである中国語と関連づけることができたり、憶測できたりすることもおもしろかった。授業の内容としては、宇宙がテーマであったが、難しい科学的な話よりも、宇宙が秘める可能性について考えることが多く、非常に考えさせられる授業であった。他の方が考えるコメントを読むことができるのも、とてもおもしろく新たな刺激をもらうことができた。毎回とても楽しみであった。4年生という学生最後の年にこの授業を履修してよかったと心から思う。(4年Iさん)

私は人間という存在について考えるのが好きだ。例えば、人間は何故コミュニケーションをとるのか、各々の状況に置かれた際、人間の心理状態はどうなるのか、一つ一つの何気ない行動に隠された心理は何か、などだ。しかし冷静に考えてみれば、人間の存在意義については深く考えたことはなかった。人間が存在するのは当然という前提で物事を考えていたのだ。この授業では、人間とは何かという本質に迫る問題を宇宙的視点で考えた。人は何故生まれたのか、宇宙にとって人間の存在する意味は何か。正直に言うと、まだ理解は出来ていない。それほどこの問題は複雑であり、難儀であり、これという正解がないのだ。だからこそいろんな考えを生み出すことが出来る問題でもある。今回の授業では様々な視点からみた「宇宙における人間の存在意義」について考える柔軟な思考を身につけることができた。表面上だけではなく、本質に迫った授業内容はとても面白いものであった。(1年Oさん)

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