桜美林ビッグヒストリー・ムーブメント

2019年度 学生のコメント

Our Roles
in the Universe

2019.09.24 
第1回 イントロダクション

ビッグヒストリーにおいて我々人間がいかに小さい存在で、歴史の浅いもの(存在)だということを痛感した。立花隆氏の『宇宙からの帰還』を読んでいて、私自身も同じようなことを思ったことがある。私は高いところから景色を見ることが好きなのだが、今まで様々な建造物や山を登ってきた。そして高い所から景色を見る度に、数え切れないほどの多くの人々、家庭が存在し、一人ひとり全く別の人生があると思うと何とも言えない気持ちになる。たかだか150m~250mほどの高さから見てもそう思うのだから、宇宙から見たら、さぞそれはそれは言葉では表現できない気持ちになるのだろう。日常生活も、宇宙的視点で見てみれば不思議な・哲学的な気持ちになる。例えば我々の「生・老・病・死」という人生そのものも、宇宙的視点から見れば本当にちっぽけなものである。しかし人間はその短い活動期間に固執する。中には他者を傷つけたり、争いを起こしたりする。これはきっと個々人に宇宙的視点が無いからであろう。(4年H君)

講義内で印象的であった言葉は、ビッグヒストリー≠歴史学である。高校で学ぶ世界史や日本史は、人類の視点から見た断片的な歴史であるということを知り、驚いた。ビッグヒストリーを構成する重要な概念の一つに、宇宙は時間を追うごとに複雑さを増して行くということがある。人の成長もその概念を用いて説明することができるように思う。10年程前、保育園や小学校で歌を歌い、体操服を着て走っていれば生きていくことができた。元気に挨拶をすること。先生や親の言うことを聞くこと。20歳を目前にした私にとって、社会から要求される一次的な規律である。なぜ、人は複雑さを増していくのか。その一つにあることは、周囲への対応を繰り返していくことであると思う。中学校、高校、そして大学へと社会的ステージが進んで行く中で、周囲、特に大人たちによって社会を見る眼鏡のフィルターが少しずつ外されていく。外された瞬間、まるで遠洋で海に投げ捨てられたかのようになってしまう。しかし、もがいている内に周囲に適応する術を身に付け、複雑さに対応するようになる。その過程を経ることで、人は複雑さを獲得するのである。(1年K君)

2019.10.01 
第2回 ビッグバン 宇宙の始まり

均等ではないことやズレなどは一見煙たがれるが、星をつくるには必要不可欠であり、そのゆらぎによって私たち人間は生み出されたのだと考えると、「不安定」というものをほんの少し愛することができるかもしれない。よく、出逢えた運命や奇跡という言葉を耳にするが、何かが起こることはものすごい確率だと頭では分かっていても、中々実感がわかないし、大げさだと思ってしまう。しかし、星が生まれるのに様々な条件が絡み合っていることをふまえると、全ての事象はまさに奇跡なのだと感じた。誰かが言っていた「アンパンマンのうた」のように、何の為に学ぶのか、と度々考える。特にこの授業のように話のスケールが大きく、自分の苦手な分野だと余計に分からなくなってしまう。しかし今日の講義を聞いていて、全てのことは奇跡であり、宇宙に比べると自分なんてちっぽけだと気がつくと、少し勇気を持てたり、心が軽くなる。このポジティブな感情の獲得は、学ぶ理由、意味の一つではないか。(3年Tさん)

冒頭で他の人のリアペ(リアクションペーパー)の内容に「人類と宇宙人のビッグヒストリーの違い」ということがありましたが、バトルシップもプレデターもウルトラマンも、何故人型の宇宙人なのかなと考えます。映画エイリアンの宇宙人は人型ではありませんが、繁殖に他生物を必要とするため現実的ではないと考えました。人は神であったり宇宙人であったり、自分達と同じ、またそれ以上の知識を持つ生物をなぜ人型にするのかと考えます。それはとても傲慢であり、我々人類が至高であるといううぬぼれなのではないでしょうか。(4年Kさん)

地球人は確かに地球中心主義が凄まじいなと思った。例えば星を調べている時に有害な物質があったとして、生物がいないと決める事が多そうなイメージがある。しかしそこが地球中心的であると思った。地球の生命体にとって危険でも、それを必要とする生命があっても宇宙の広さを考えると何らおかしくないと思った。「ありえないなんて事はありえない」というあるキャラクターの言葉が宇宙には適しているのではないかと思う。宇宙人は我々の想像の届かない場所で絶対にいると思う。(4年N君)

私は人間が宇宙のすべてを理解できるようになる事は、どれだけ調べても、考えても何千・何万年経った先の世界でも理解、解析は出来ないと思っているのですが、もし人間が全てを理解できたとしたら、何億年も先の小学生の夏休みの宿題が「宇宙を作ってくる」といったような事になっていくのかも知れないというのは、夢があります。(4年W君)

2019.10.08 
第3回 太陽系と地球の形成

科学は進んでいるとよく言いますが、私が地球の内部構造の図を見て思ったのは、地球などの惑星の内部構造はまだまだ謎だらけなんだと思いました。これまでは地球の外側から宇宙の果てを講義して、宇宙の年齢は138億年だとか、無数の星やその詳しい位置も分かっているというのに、地球の内部には高温の岩石や溶けた鉄があるぐらいしか分からず、宇宙探査機ははるか遠くまで行っているのに、地下は1kmも掘るのに精一杯であるのが現実です。自分のことも、もっとよく見ろ、と思いました。(3年Y君)

今日の講義で語られていた、惑星の形成条件。ビッグバン以降の「ゆらぎ」によって惑星が形成され、太陽放射の強度のおかげで、生命が生育するための水が存在する惑星となった。資料にもあるように、惑星形成の経緯がある程度理論化され、惑星の材料もある程度判明している以上、材料を集めることさえできれば人工惑星を作ることは可能であるように思う。地球が、風の谷のナウシカの世界のように人が住むことに適さない星になってしまったとしても、スペアの惑星があれば行くあてになる。しかし、そのような計画は存在していない。それは、人工惑星を作るための「項」が完全に判明していないからであるように思う。いくつの項があるのか分かっていないのであれば、検討することはできない。残りの条件は一体何なのか。暗黒物質を解明することで理論化できることなのか。はたまた、完全に偶然なのか。宇宙の深遠さを改めて感じた。(1年K君)

岡本太郎は、超越的世界と交流する手段が「芸術」だと言っていた。あの有名なギタリスト(ジミ・ヘンドリックス)も「宇宙と交信しろ」と言っていた。これだけスケールの大きいものにはエネルギーが宿り、宇宙、太陽系、地球の誕生などの奇跡の爆発を感じたから、岡本太郎もジミヘンも、人々を感動させる作品を作れたのではないだろうか。宇宙のチリなどの小さなものが集まり、ぶつかって溶けたり回ったり、そして最後に太陽系が生まれてきていた。小さなものも、積み重ね、ぶっつけ合えば、新しいものが生まれ、大きな形になっていくというのは、自分の人生においても大きく、日々を大事にしていこうと思った。(4年M君)

2019.10.15 
第4回 生命の出現

ハードウェアとしてのたんぱく質と、ソフトウェアとしてのRNA、DNAという事ですが、いわゆる核酸に自己の情報を写し後世(子孫)に伝えるという手法は我々人類も用いており、脳の拡張手段として紙や粘土板に情報を写し、後世に伝え、歴史をつくります。まさにビッグヒストリーを生命の本質として、機能の一部に取り込んでいる様に思えます。(2年H君)

生命の定義の3つを見て思ったが、AIのロボットは生物と言えなくはないのではと感じる。1.細胞ではないがそれに値する機構があり、ボディーで区別する膜を持つし人工筋肉などもある。2.これも「生殖」ではなく自己複製であるならば、「フォン・ノイマン・マシン」という言葉があるように、いつかロボットを作るロボットが完成するかも知れない。3.取り込む物質が食物ではなく電気であり代謝を(同様の)パフォーマンスと捉えれば理解できる。ロボットというのは新しい生物の形なのかも知れない。(4年Aさん)

世の中には変人が多く存在する。例えばアニメのキャラクターと結婚する者、エッフェル塔と結婚する者、自分にしか見えない存在と暮らしている者。彼らは生命の定義に反し、生命のない存在と関わりを持っている。一見ただの変人だが、見方を変えればパラダイムシフトであり、今は生命の定義の過渡期なのかもしれない。(4年H君)

生命の起源・進化は、宇宙、星、海、天気などからの様々なエネルギー(物質)を吸収、発散を繰り返し成長・進化してきた。それらは前提として「自然」に由来するものだ。これから私達はどの様に「進化」していくのだろうと考えたとき、テクノロジーが大きく関わっていくと思う。そしてこれからの時代、多くの仕事はAIにとって代わり、人工知能が人を支配するとか、テクノロジーが複雑すぎて制御できないとか言われているけれど、もうそれはある意味自然であり、テクノロジーは自然であるという認識に変わっていくのかもしれないと思った。(4年U君)

今日の講義で触れられていた「共生」。生物の祖先であるとされるLUCA以来、真核生物は、形質としては全く異なる別の真核生物と共生することで進化を遂げてきた。現代社会でも「共生」の重要さが叫ばれている。自分とは全く違う形質を持つ相手と共存し、共生していく。古代の真核生物が導かれた劇的な環境の変化は、人で当てはめればグローバリズムにあたる。真核生物が、単純さの掛け算の先にある複雑さを獲得しなければ生き残れなかったように、現代を生きる私も、複雑さを獲得しなければ淘汰されてしまうのではないかと感じ、将来の漠然とした不安を持った。(1年K君)

2019.10.29 
第5回 生命進化の歴史(1)

単細胞生物が生まれるまでに何十億年もかかり、多細胞生物が生まれるのにも何億年もかかっている。しかし、一度生物が生まれてから、進化のスピードが今までより早かった。人間の発明なども、0から1を作るのにとても時間がかかるが、発明されてから改良を重ね便利になるのが早い。現代のテクノロジーが、昔の生物進化のようにどんどんとスピードが上がっていて、面白いと思った。(4年M君)

以前、他の授業でカンブリア紀について教わり、アノマロカリスに興奮しました。上野の科学博物館に資料を見にいったら、すっごく小さい化石が1つしかなく、すごく落ち込んだのを思い出しました。カンブリア紀は生き残りをかけて生物があらゆるデザインを試した時代だと考えているので、地球の生命にとっては史上最大の「激動の時代」なのだろうなと思います。海が世界の全てだった時代から、陸、さらには空にまで行動範囲を広げ、世界の概念、地球の限界を拡大させてきたことを受け、いま改めて宇宙に手を伸ばそうとし、宙を突っつく我々に、かつては「ここまで人間はおよんでいいのだろうか」と考えていましたが、なんだか地球の生物の一員として見てみると、自然な流れのようにも思えました。(2年Eさん)

1番印象に残った言葉は、「どの生き物にも38億年という歴史がある」という言葉です。どの生き物にも、ってことは、私にも38億年という歴史があるということですよね。生命の誕生が38億年前なら、私の誕生も38億年前です。途中で死んでしまうし、初めからヒトが存在していなかった訳ではないからそれは違うぞ、と思われるかも知れません。でも、いま生きているのだって38億年前に生命が誕生したからではないですか。と考えると、年齢ってなんだか違和感があります。私はいま20歳ですが、正確には38億20歳になるのではないでしょうか。今日の授業とは関係ありませんが、私は人間は生まれ変わると思っているので、やはり38億〇〇歳に人間はなるのではないかと考えてしまうのです。(2年Tさん)

2019.11.05 
第6回 生命進化の歴史(2)

恐竜がこの地球を支配していた頃、恐竜たちは自分らが生態系のトップであることが当たり前だと思っていたはずだ。またその状況がずっと続くとも思っていたはずだ。しかし彼らは絶滅した。今、我々人間は生態系のトップにおり、これが当然のことになっている。果たしてこの当たり前がいつまで続くのだろうか。環境を破壊し、人間同士で争い、他の種を自分の欲望を満たすために殺している人間が、いつまでも天下を取れるだろうか。こういうことを考えるのもビッグヒストリーの醍醐味だと思う。もしかしたら数億年後、人間の次に生態系のトップを獲得した生物が、今の我々が恐竜絶滅を研究するように、人間絶滅について研究する日が来るのかもしれない。(4年H君)

恐竜の絶滅後、生物の進化のトライアンドエラーの方向は変わったと思う。以前は部位の役割は一つにつき一つで身体はとにかく大きくなっていった。しかし隕石によって生存にエネルギーがかかり、燃費の悪い生物は絶滅した。そこから生物の進化図は「より小型に・それでいて高機能に」となっていった。これは私の推測だが、変温動物(冷血動物?)の体温の変動と維持のシステムと巨体はうまくかみ合わなかったのではないかと考える。隕石以前の衰退はそこにもあったのではないか。また面白いのが生物だけでなく、車もPCなどあらゆる物の進化の到達点が「小さくてまとまった物」になるのは面白いと思う。(4年A君)

本川達雄さんの『生物多様性』の「私、私、私と私を渡していくのが私」を読んで、私はクローンの事を考えました。ちょっとだけ異なる「私のようなもの」がつくられ、ずっと続いていくようにしているのが生物と書いてあります。あくまで「私のようなもの」を残していくのが生物の意味なので、クローン技術でまるっきり同じ「私」を作ってしまうのは、私達は生物として存在している意味がなくなってしまうのでは?と感じました。ずっと昔に生きていた恐竜達も、「私のようなもの」を残してきました。同じ生物として、恐竜と同じ「私のようなもの」を残すことが出来ることは感慨深いなと思いました。(1年Aさん)

2019.11.12 
第7回 特別講義(1)土のビッグヒストリー

土ができるまでの過程や、土がもたらすものを今まで考えたことがなく、ただ何となく土の存在が生まれた時から身近にあるということしか認識していなかったが、土には植物の存在が欠かせないこと、生き物がいなくては土が生まれないことを初めて知った。藤井先生が見せてくださった「ミミズありの土」と「ミミズなしの土」を見比べた際、あの小さくてニョロニョロして周囲から気持ち悪がられているミミズが、土を生み出すために必要不可欠な生き物であることに驚いたと同時に、生き物に不必要なものやいなくても大丈夫な生き物はこの世に存在しないことを、今日の授業で改めて学ぶことができた。(4年A君)

土ひとつとっても、人生かけて研究すると深いなあと思いました。私はいつか宇宙に行ってみたい!という思いがあり、空にばかり興味がありましたが、子どものころは土にお世話になっていました。泥団子を作ったり、穴を掘って水が出てくるのを楽しんだり…。その時は何も考えてなかったけど、たしかに土の色やつぶの大きさが違っていて、それを何も知らないながら楽しんでいたことを思い出しました。砂の中のガラスのつぶをダイヤだ!と思って集めていたけど、ただ人工的に混ぜてあるガラスを知った時のがっかりさも良い思い出です。土って楽しいものだし、思い出がつまってますよね。(3年Yさん)

私が履修しているSDGsの講義で、そのモットー、「誰一人取り残さない」がある。しかし、今日の講義では、肥沃な土壌が偏在していて、誰もがアクセス可能なのではなく、局在しているため、先天的に不平等な状態であることが触れられていた。聖書では、人が苦しみを背負い、生きていくことが出来ると記述されている。70億人、またそれ以上に増えていく人口を養っていくためには、現在豊かな生活を送っている人々が、それを捨てて他の名も知らない人々と共存していくために我慢しなければならないのだと知り、将来への不安を抱いた。(1年K君)

高校の地理では、土壌分布図の場所と横文字の土壌の名前だけを憶えていました。ただ、授業内でもあったように、土と人類の歴史は結びついており、例えばウクライナは肥沃な土壌を持っていた為にロシアに編入されたり武力衝突したりと、現在の国際情勢にも影響を及ぼすに至りました。また、私は沖縄出身だが、関東とは土壌が異なり、植物も異なり、それが風土や文化にも影響を与えています。私たちの生活と土は密接につながっているのだと感じました。(3年O君)

2019.11.19 
第8回 人類の出現

我々人間の先祖は生き残るため、そして更なる生き易さを求めて進化していったと思うのだが、それが順調に進むにつれて人間は次第に「独り」では生きてゆけなくなってしまったんだなということを改めて考える回であった。出産や子育ても、我々にとっては当たり前に過酷なものであるけれど、チンパンジーやサルは(私からしたら)まるで便を出すような軽さで出産をしているように見えるし、子育ても人間ほど苦戦しないだろうなと思う。それらのことを考えていくと、人間は「新たな楽」を手に入れたことで「新たな苦」までも手に入れてここまで生きてきた、非常に複雑な生物なんだなと思った。(3年Iさん)

私は犬猫の保護活動や愛護啓発をしていて、この社会は人間中心主義だなあとつくづく思う時がある。例えば、動物愛護センターでは、毎日多くの犬や猫がゴミのように処分されている。また、そこには飼い主がいらないからという理由で連れてこられた命がたくさんいる。新しい飼い主が見つからなければ殺処分されるわけだが、人間が動物に対してそんなことをしていい理由とは何なのか。勝手に命をうばっていい理由は「私たちが人間だから」というだけなのだろうか。そんなのは正しい理由ではないと思う。クマだってそうだ。「人里におりてきたから殺す」それは「人間だから許される」のだろうか。彼らの居場所を奪ったのは人間である。いつから人間優先の時代になってしまったのだろうか。(3年Yさん)

ポニョについて改めて観ましたが、ジェンダー的問題がとらえられるようになった近年では、様々な愛を許容する必要があり、キリスト教的観点を払拭するのはとても新しいと思いました。映画「シェイプ・オブ・ウォーター」では人と人ならざる生物との交流を描いています。この作品でも、人類中心、人類至上の考え方が見てとれるように思います。また、人類中心主義を貫くと、他種人類の排除につながるのではと考えました。「自らの種が生存すればよい」というものです。漫画「進撃の巨人」では、壁内人類と壁外人類との対立が描かれています。自らを中心とする考え方は、他の種族や他の生物を滅ぼすもとです。現代の人類も、多くの種を絶滅させているように思います。人類の未来について考えることも大切だと思いますが、他生物と共存、共生していくことも忘れてはいけないと思いました。(2年Mさん)

人間は他の生物とは異なり、機能的な多様性(首が特別だとか…)がないと述べていたが、それは知性があるから道具を使うことでそれが必要なくなったのだと思った。赤ちゃんの時に、指が二本多く生まれたが切ってしまったと友達の実話で話してくれた。それは社会に出たときに冷たい目で見られないようにだと言ったが、私はとても魅力を感じた。しかし、社会というものが人間の進化を妨げていたり、そういう人たちが普通からはとびぬけた能力を差別したりして、人類は進化を社会での暗視を理由にやめているのかなと思った。(4年M君)

人類は、1種類がどんどん進化して今に至ったと思っていたが、色々な種類がいて、共存している時代もあって、結果的にホモ・サピエンスが残り進化して今に至るという事実がとても衝撃的であった。現在、差別問題に対して、多様性という考え方のもと、世界的に偏見や差別を無くしていこうという動きになっているわけだが、進んでいるにしても無くなってはいないし、今までも大変だったと思う。もし他の人類が絶滅していなくて、その人類が今の私たちと同じように思考できるくらい進化していれば、最初から多様性に富んでいて、差別という考えは今より少なかったのではないだろうか。(1年K君)

2019.11.26 
第9回 農業の開始と農耕文明

自分は犬を実際に飼っているが、確かに犬は人の顔を見て判断していたり、家に一人取り残されるのを毛嫌いしているのを強く感じる。人間と犬の始まりの関係が家畜というのは少し驚いたが、古代から人との関わりを密接に持っていた事実は、他の動物とは違う何かを犬は持っているのだなと思った。種のバリアを超えた「共感」をすることができるこの2つの種の組み合わせは唯一無二の存在であり、この2つの種にしか為し得ない形であるのかも知れない。一方で、これから全ての生物が進化していく中で、人と犬のように特別な関係を築くことができる種の組み合わせが生まれる可能性も十分にあり得るのではないかと思った。(3年Y君)

2019.12.03 
第10回 近代化

宗教が生まれたおかげで、人々が死に対しての恐怖心を克服できるようになったのではないか。死んだとしても次の世界があるという思想のおかげで、今までで一番恐怖の対象であった死が少しやわらいだのでは。そのために世界的に普及もしたのだと思う。しかし、人をもっとも間接的に殺してしまっているのも宗教であるということは忘れてはいけないと思う。もし人が死というものに対して恐怖をいだいていなかったら、もし不死身の存在であったら、宗教はどのようになったのだろうか。父と二人で話し合ったことがあったが、仮にそうだとしても宗教は今と変わらずに普及していたのではないかという結論に至った。「死」に対して説くのではなく、「永遠の生」に対して説くようになったのではないかと。宗教は人が知恵や知識を身に付けたことによって生まれたものであり、人が生きている限りなくならないものであると思った。(2年S君)

特に近代科学のジレンマの話が印象に残った。今、自分は特定の宗教を信仰しておらず、自分以外にもそういう状況の人はかなりの数いると思うが、そういった現状になった要因として科学の進歩が重要な要因だったということを初めて知った。確かに自分は、非科学的だといわれるものよりも科学的な事実を信じるし、ほとんどの人がそうだと思う。しかし、一概に科学的、非科学的と世の中の事象を正確に分けられるものではないとも思う。おそらく科学の中に間違っているものもあるし、非科学的なものの中にも真実がある。重要なのは、科学というものを絶対的な真実とするのではなく、常にくつがえされる可能性をもった永遠に暫定的なものだとすることだと思う。人間の科学に対する態度を正せば、宗教が力を失うことも防ぐことができると思った。(3年C君)

農耕文明から近代化ということで、人は便利を求めていることがわかった。私は社会学が専攻なので、歴史を学ぶことがある。人類の発展を学んでいく中で思うことは、どこをゴールに進んでいるのかということだ。スマホの普及がある世の中に今私たちは生きているが、来年には古いと言われているかもしれない。しかし、その変化は本当に必要なことなのだろうか。進むべきところがわからずに進化が行われていることは、危険なことのようにも思える。(3年Iさん)

大航海時代に入り、物資だけではなく宗教や疫病も拡散した。私はこの事を知ってハッとした。もし今後技術が発展して宇宙への移住や理解が進めば、大航海時代のような拡散が起きるのではないだろうか。仮にそうなった場合、人類は新たな常識へのパラダイムシフトが必要になる。また、地球外生命体とのコンタクトが可能になった時、古い考えを持った者や差別主義者は淘汰されてしまうのではないだろうか。これはあくまでも私の想像でしかないが、ビッグヒストリーの観点で考えれば、我々は常識の転換期を目の当たりにする可能性があるのだ。そう考えるとなぜか無性にワクワクしてしまう。まだ未来が明るいのか暗いのか不明なのにも関わらず。(4年H君)

農耕文明が生まれたのは、人類の発展にとって重要な一歩になったことは間違いない。そして、人間に近いサルですら、食べた後の種はそのへんに捨てると考えると、やはり人間だけが到達したハイレベルな領域なのだ。しかし、植物は勝手に育つではないか。種をそのへんに捨てずに土を被せて水をやるくらいなら、そのうちサルも人間の真似をしそうな気がする。そうすると、通信革命こそ大発明だと思う。まったく通信という概念がない時、誰が地球の裏側の人とリアルタイムで話せると思ったのだろう。そして今でもその仕組みが良く分からない。ほとんどみんな仕組みが分からないまま使いこなせるものこそ、大発明だと思うのだ。(3年Yさん)

2019.12.10 
第11回 アントロポセンの時代

私たちが普段食べている肉はどこから来たものだろうか。そこでは『フード・インク』で出てきたような工場式農場から来た肉だろうか。『サピエンス全史』でハラリは人権は虚構だと言った。工場式農場は、人権が虚構であることの証明であると私は思っている。工場式農場ではその動物に自由は何もない、権利は何もないのだ。動物たちは人間のように権利を求めてデモやストライキをすることができない。同じ一つの命なのに。人間は平等の権利が必要だと多くの人が行動するが、動物の権利を求めて行動する人は前者に比べて圧倒的に少ないし、工場式農場を知らない人もいる。私もその内の一人だった。牛は殺される前に泣くそうだ。人間と同じように。工場式農場が存在し続ける以上、人権は虚構であり続ける。(2年H君)

私は環境と文明の授業をとっていたので、環境問題についてはある程度理解できた。クローンでいうと羊のドリーの作成が話題にあるが、生物に対しての倫理的観点で賛否があった。私はクローン自体は否定するつもりはないが、例えばペットで飼育していた犬や猫が亡くなったときに、もしもクローン技術が発達していて同じ個体が作れるとしたら、ペット1匹への愛情がうすくなり、死んでもまた次、という考えが増えていってしまいそうで怖さを感じる。クローンができると命の重要さの感覚が人に対しても何に対しても軽くなって、だんだん感情がなくなるのではないか。(1年W君)

合成生物学の話を聞いている時に、もちろん便利だし、人間で見てもかかりそうな病気のある遺伝子またはゲノムを取り除くなど良いことも多いように感じるのは事実だが、そのようなことができるということに、この世界がゲームのようなものに思えてきた。この世界、生物、人間はある種のプログラムで組まれていて、病気などはそのプログラムのバグなのではと。この世界がゲームであるのなら我々はNPCであり、このゲームにはプレイヤーがいるはず、おそらくそのプレイヤーが神なのだろう。しかし、そのプログラムを人間がいじれるようになったということは、人間もプレイヤー側になりかけている気がする。つまり人間は神を目指しているのだろうか。(2年A君)

工場における生産性を高めるために、鶏に薬を与えたり、遺伝子操作をすることで急速に成長することについて。この操作により、脚が4本ある鶏を生み出したりすることもあるらしい。これは資本主義に走っていってしまった人間の、動物に対する生命の侮辱であると感じた。コントロールのしすぎは、いずれ人間の予期せぬ力をもって反撃してくると思う。怖い。ペットロスによるクローン体の実現の話には驚いた。これに対しても、何か極めて侮辱的なものを感じた。命とは、人間のエゴで操作して良いものではない。クローンとして復活した生命は、人間のエゴの形そのものであり、個人的には推奨できる事ではない。悪化する自然環境は、人間が作り出したものである。なぜ、自分で手に負えなくなるようなものを生み出してしまうのか。核も、自然も、科学も。(2年Kさん)

中学生の時に観たジュラシックワールドのラスボスであるインドミナスレックスという恐竜は、いろんな動物の遺伝子を組み合わせた最強の恐竜で、カメレオンみたいに色を変えたりすることもできた。遺伝子組み換えと聞くとマイナスなイメージがあるが、正直、環境汚染などで人間やその他の動物が滅びゆくのなら、いっそみんな遺伝子組み替えちゃって、どんな環境にも耐えられるような体を作ってしまえば、文化や生命のある地球は続いていくんじゃないかと思った。ちなみに僕は地球のこの先の歴史を見てみたいので、不死身と言われるベニクラゲの原理としくみを解明して、その遺伝子を体に組み込んでみたいです。不死身になって、それは幸せなのか、苦しいのか、体験してみるのも価値があると思う。(1年I君)

1つの世紀だけで約50億人も増えるというのは異常なことだと感じた。これだけ増えてしまったら、環境などに問題がおこるのも当然のことのように感じた。人間が多すぎるから農業も畜産業も工業化せざるを得ないのではないか。オーガニックなどの工業化しないやり方が現在流行しているように見えても、工業化しているいまでも飢餓がなくならない点を見ても、人間が多い状態ではまた大量生産方式に戻るだけなのではないかと感じた。人権を侵害しない程度に人口をコントロールする術を考えてもよいのではないか。(3年J君)

2019.12.17 
第12回 地球外生命

宇宙生命体に会ってしまったらどうしようか考えてみました。とりあえず最初は意思疎通を図ろうと思います。ただ、初対面だと緊張してうまく話せないかもしれないと思いました。もしコミュニケーションが取れない、知的生命体でない生物なら、美味しいかどうか調べてみたいと思いました。宇宙程の広さがあれば、美味しい生命体がいないということもないのではないでしょうか。こう考えてみると、某団体の鯨は頭が良いから食料にしてはいけない、殺してはいけないという考えはよく考えるべきだと思います。人間は知性の有無、優劣で命の価値を判断しているのではないでしょうか。人が牛や豚などの動物を食べるのは自分以下の存在だからで、もし人と対等に意思疎通できて文明まで持っていたら人は食べることは出来ないはずで

ハリウッド映画はもちろん、日本の映画や多くのアニメでも宇宙人と戦闘するシーンは多い。以前は、地域対地域、国対国など地球内での人と人の戦いのあるコンテンツは、国内では受けは良いが、敵対国からすれば気持ちは良くない。グローバル社会において、人類の共通の敵を作る為に、宇宙人という架空ではあるがややリアリティさも含む存在に挑むコンテンツが流行っているのではないか?(3年O君)

もし宇宙に生命を発見したとすれば、征服だとか考えるのではなく、友好と尊重を忘れないで接してほしいと思うのですが、人間同士も出来ないことなので、まだ宇宙に生命を発見するべきではない気もしました。宇宙の生命を見つけてもいいのは、AIに権利を与えることが人間に出来るようになってからだろうと思います。分からない、不確かな「生物の感情」を尊重することが可能になれば、地球にとっても宇宙にとっても、人類にとってもすばらしい、夢のような次元だなと思います。(2年Eさん)

2019.12.24 
第13回 特別講義(2)アートによる生物との共生

動物を作品の一部ではなく、芸術を共に創るアーティストとして、人間と同等に扱った作品を見ていると、芸術は人間のものだけではなく、むしろ動物の生態にもとづく生命のエネルギーみたいのが感じられ、より面白く思えた(特にビーバーの作品)。(4年M君)

現代アートからビッグヒストリーにつながる点が予想以上に存在し、素直に面白いと思った。人類中心主義でどうしても人間を主として考えてしまう中で、他種の動物を主として取り上げるINOMATAさんの作品は、凝り固まった考えを180度反転させるような力を持っていると感じた。人間は地球上の生物の只の一種で活かし・活かされてきた歴史を忘れてはならないとも思った。(4年E君)

人間は今でも肌の色や出生地で差別が起こったりと、同じ種族間でもなかなか分かり合えていないのに、異種間での関わりを行ってアートのように発信しているのはとても面白く、新しい視点からの考えが聞けてよかった。今は意見を交換できない生物との関わりだけしかできないが、もし宇宙人との異種間交流ができたらと思うと、胸が熱くなった。異種間純愛作品で「エルフェンリート」というものがあるので、多くの人に知ってもらいたい。(4年S君)

INOMATAさんの作品は一般人が思いつくことのないような作品で、自然に生きるものに手を加え、アーティスティックなものになっている。そこには自然ではない違和感を感じるが、同時にメッセージ性を強く宿しているのも分かる。人間との共存は犬ぐらいしかちゃんと意思疎通ができないが、作品からは意外な生物とも共存意志が伝わり、神秘も感じられる。この違和感は何かに似ていると思った。それは動物園や水族館である。あれは意思疎通や手なづけることができないような生き物を飼い、展示をしている。それは自然なことではないため違和感を感じるのである。そこには生態系のバランスを変えるような残虐さがあり、人間がどういうものか分かる気がする。(3年Fさん)

生き物との関わりから生まれるものとあったが、例えばヤドカリの家の話なんかは人間の影響を受けてしまっていることを示すいい例だと思った。が同時に、この制作方法もまた「人間中心主義」ではないかと思った。ミノムシのアートも、服を着せてることがミノムシにどのような影響を与えているかも自分は分からないので、キレイだと思いつつどこか可哀そうにも感じた。「生物との協力」といえば聞こえは良いが、実際に働いていたり被害の対象になっているのは生物である。(実際に木を削っているのはビーバーだし、人工物の家に住まわされているのはヤドカリである。)自分たち、すなわち人間がキレイだとかカワイイと思っただけで動物や生物を利用するのは、動物や生物のことを軽く見ているからではないかと思った。(2年S君)

2020.01.14 
第14回 まとめ

今までビッグヒストリーを受けてきて、宇宙の中での自分の役割、存在意義について考えるきっかけとなった。その中で、自分が何をするべきか、本当に何がしたいのか、知ることができた。私は一生、「人間中心主義」と向き合って生きていきたい。答えはなくとも、ひたすら向き合っていきたい。そして、たくさんの捨てられる犬猫、処分されてしまう犬猫を一匹でも多く減らしていきたい。(3年Yさん)

普段、生物や科学のこと、いわゆる理化学的なものについてあまり触れていないからこそ、「ビッグヒストリー」というとても包括的なタイトルに惹かれて私はこの講義を受講した。ド文系で理系分野的なものに関心が薄かった私だが、実際に受講してみると、次のことが分かった。今まで苦手意識が働いていた他の生物のことが、ヒトも生物であり、その進化の過程を学ぶにつれて、とても身近なものに感じられた。あれだけ莫大で畏怖さえ感じる宇宙のことも、自分たちも「地球という惑星に住む生きもの」だと思うことで、あまり遠い存在だとは思わなくなった。そして、これが一番感じたことだが、ヒトとして何をすべきか、ヒトについて考えるきっかけになった。(2年K君)

ビッグヒストリーを学び、私は新しい視野を得ることができた。今まで人類、宇宙について考えることはなかったが、そこには様々な奇跡があった。その中でも地球に生命が誕生したことこそ最も大きな出来事に感じられる。地球はマグマの星から氷の星になり、やがて緑の星になった。その中には生物が有毒であった酸素を克服する進化もあった。この様にして出来た生命の星だが、今、歴史上最も危機に直面していると私は感じている。それは人間の行動一つですべてを変えてしまうほどの力を持ってしまったということだ。私たちはこのことを理解して生活しなければならない。(2年H君)

このビッグヒストリーを受講し、私は何事にも宇宙視点のレベルで考えるようになりました。先日も、ビッグヒストリーのような話が好きな友達と居酒屋で4時間話し続けました。時間の話、物質の話、宇宙人の話。私は、ビッグヒストリーで学んだ恐竜の話や、人類の話を覚えている限り話したのですが、最終的に私達は、「私たちの悩みなんて相当ちっぽけ」「私たちが出会えたこのことは本当に奇跡」という結果にたどりつきました。結果だけ書くと、シンプル過ぎて小学生みたいですが、4時間話した末のこの結論は、素晴らしく宇宙的視点だと思います。そんな有意義な時間を過ごせるための材料を与えてくださったこの授業に非常に感謝します。(1年Cさん)

他の人のレポートを読み、ビッグヒストリーに対するある意識に気づいた。それは、大きな規模で考えることで、具体性や現実性がうすれているということだ。ビッグヒストリーとは、世界全体を時空を超えて見ることが全てではなく、虫めがねで小さなことにも目を向けることが大切なのではないか。今あまりみんなが気づいていないことにこそ、ビッグヒストリーの重要なヒントが隠されていると思う。障害も進化かも知れないという発想には驚いたが、そういう視点こそ時空を超える問題だろう。(3年Yさん)

ビッグヒストリーの講義は、他の講義と比べ異質さを感じることが多くあった。その異質さというものは、あらゆる学問の知識が求められている点、先生方が楽しそうに学んでいる点が大きな要因だと思える。リベラルアーツ学群として約3年間学んできたが、それらの学びは、異なることとしての学びであった。しかし、ビッグヒストリーはどんな学問からでも考えることができ、点と点が線でつながった感覚があった。この感覚はこれから生きて行く中で必要なことだと思う。(3年Iさん)

楽しかったです。先生はすごく楽しそうに授業をされるので、私も少なからずその内面に呼応したと思います。何でも面白そうに、楽しそうに話せることは、普段からたくさんの物事を、引用ではなく、オリジナルに考えているからこそで、考えられるからこその寛容さがとても伝わり、私も自由にリアクションペーパーを書くことができました。楽しそうに話す人ってこんなに魅力的なのかなあと思いました。宇宙についてはもちろんですが、その他にもたくさん気づかされることがあって、毎回授業が楽しみでした。ありがとうございました。(2年Eさん)

2018